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テンポラリー通信

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2006年 07月 11日

道具と機械ー界を生きる(16)

熊谷透さんの自称39歳の誕生日「55(gogo)透」に呼ばれて顔を出した。
歩き人児玉文暁さんはじめバイクで日本一周中の人自転車で日本を周って
いる人等いろんな人が集まっていた。讃岐ソーメンを使ったゴーヤチャンプル
炊き込み御飯と美味しい手料理が作られていた。話を重ねている内にそれぞ
れの個性というか違いが見えて面白かった。同じ日本一周でもバイクを使う人
と自転車の人と歩く人では違っている。どう違うかというとそれは道具の違いに
関係しているように思われた。バイクの人が一番如才ない。次に自転車の人
最後が歩く人である。それぞれが人と接する時あるいは人を紹介する時にそれ
が表れた。バイクの人が一番世間を見てそれに合わせた話をするのだ。その
人の個性もあるから一概に決め付けられないが昨日の三人はそうだった。
ちようど道具と人間について考えていた時だったのでなおさらそう感じたのかも
しれない。道具は人間の身体能力を増幅してくれる。機械に至ってはさらに飛
躍的に増幅してくれる。その結果道具や機械に拠って生じた身体の部分増幅が
その人間の考え方にも影響を与えている。本来は足なら足の代行である物が
代行のほうが本体を引っ張り込んで本体を希薄にする。現実の実体がある転倒
を来たす。かってオーデイオ装置に凝って部屋まで改造し自慢する人がいたが
彼は耳の代行装置をいくら整えても肝心の何を聞くために何を聞かせたいのか
という所ではさっぱり要を得ない人だった。あれもいい、これもいいと聞かされる
のだが結局は機械の自慢で肝心の音楽の誰かが見えてこないのである。まあ
それはそれで機械オタクといって笑えるが本体である身体や現実の風景を忘れ
るこの種のオタクは今多いのではないかと思う。道具という素朴な身体の延長が
機械となって飛躍的にそれ自体の性能が高まっている現在本体はますます忘
れられる本末転倒が増えている。五体五感が捉えた現実を優れた道具、機械の
機能であたかも自分の所有物のように錯覚し自分の外にある対象に不遜である
のは外界にある対象物に謙虚さが欠如しているからだ。機械や道具はある面簡
単に外在するものに触れる事を容易にしてくれたが自分の外に在る存在は本当
はそう簡単ではないのだ。眼の代わりのカメラ、ヴィデオ、耳の代わりのオーデイ
オ足の代わりの車その他諸々の五体五感に代わる機械、道具たちに謙虚さが
失われ不遜となった時人は大事な身体性、自らを喪失する危機に遭うと思える。
その事に関連してもうひとつ思い出すのはかってこのブログにも一度書いたが
何代目かの環境庁長官がパフオーマンスだと思うが大雪山のお花畑をヘリコプ
ターで視察に出かけ舞い降りて「お花畑は何処?」と聞いたという話である。高山
に咲く小さな可憐な花は国会議事堂前の花壇とは違う。歩いて下から花と同じ目
線で出会うものである。また花壇とは構成され作られた花の色の増幅強調であり
その人工的なお花畑と自然のお花畑とを混同しているのは外界の存在に対する
不遜そのものなのだ。足の代わりにヘリコプターを使い、自分の眼の代わりに眼に
刷り込まれた花壇をお花畑と錯覚している。道具・機械の増幅した機能で到達した
現実を自分の目自分の足で見たと錯覚している典型的な例である。それって一叢
の花たちが厳しい環境で生きている現実に対し、謙虚さもなにもない不遜そのも
のじゃありませんか?

by kakiten | 2006-07-11 12:49 | Comments(2)
Commented by ヨッシーです! at 2006-07-13 00:44 x
いや・・・・・如才ない・・・?・・・っとご紹介いただき、誠に有難うございます。・・ペコ!
バイクの旅は面白いゾ===!!!
まあ、っつ理屈じゃなくて・・行動ですか!  ウン!
思い切り行動した事・・有るのかナ~~~★、諸君!
死ぬ前に、もう一度態度決めてネ!
つまらない脳ミソを・・・!
健闘を祈る!!!   Ciao!
Commented by kakiten at 2006-07-13 15:54 x
ヨッシーさん>早速反応してくれて吃驚。今はまた印象変りひょうひょうと
一本気と思ってます。メカに強い頭良い人ですね。本人は・・・。またあいましょう!


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