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テンポラリー通信

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2006年 07月 08日

普通人と詩人ー界を生きる(14)

久し振りに快晴。光溢れる。二階の窓も開ける。風が通る。気温も上がっている。
及川恒平のCDをかける。<世界が完全に晴れた日飛んだ~>透明な声が響く。
昨日高橋秀明さんから彼が書いた石川啄木についての小論文の私の感想の返事
がきた。硬質な高橋さんらしい文章としばらくぶりに向き合い緊張した。彼の論旨
は「詩人」とは何かと問い掛け、ひとというのをふたつの存在として提起している。
1ー社会の中でなんらかの役割をこなすことで自らがなにものかであると得心する
2-自分が意識をもちなんらかの奇態な考えを抱いているからなにものかであると
得心するこのふたつのパターンを措定して詩人とはなにかを問い掛けている。その
上で(2)を(1)に紛れ込ませ同一化する事の迷妄を指弾しているのだ。啄木の「弓
町より」の引用から<詩人はまず第一に「人」でなければならぬ。・・・そうして実に
普通人の有っている凡ての物を有っているところの人でなければならぬ。>をとり
あげこれを社会的役割としての詩人実は知識人によった考えであるとその不備を
指摘する。2の奇態な考えを抱いている人が1の社会的役割を果たす為の人へと
一元化される現代の知識社会の迷妄に繋がるという指摘でもある。高橋さん独特
の鋭い切開であまりブログ向きではないのかも知れないが私にはこういう硬質な
文章とは久し振りで面白かった。早い話が昨今流行のパブリックアートとかレジ
デンスとか<社会的役割>の装いをもって芸術家とカン違いするなとも読めるの
である。啄木のいう詩人を彫刻家や画家つまり芸術家と読み替えればそこで啄木
のいう<普通人>とはなんらかの社会的役割を果たしている人でありそこを同一
化するある強制、統制を不備と指摘するのだ。つまり詩人や芸術家は人の内なる
<奇態な考え抱いているなにか>であってそこに社会性を密入国させるなという
事とも読める。私は啄木もまたその事はどこか充分に承知していてだからこそ
敢えて「普通人」と言う言葉を使ったと思う。社会的役割を密輸入させた文化人
知識人という詩人でなく普通人という言葉で。先の「弓町よりー食うべき詩」の
引用の冒頭に啄木は書いている。<・・・私は詩人という特殊なる人間の存在を
否定する。>現在の知識社会ではこの<特殊なる存在>がすでに認知され社
会的役割を果たしている。しかしいつも本当のところで詩人も芸術家も高橋さん
のいう(2)の存在なのだと思う。なんらかの奇態な考えをもちその奇態な考えを
表現し様ともがきつつ得心している存在。啄木のいう<普通人の有っている凡て
のもの>とは本当はそのことをも指しているようにも思うのだ。その奇態な考えが
例えお金であれ恋であれその他諸々の事であれだ。

いつか小説家宇野千代さんの闘病後の文章を読んだことがある。男性遍歴も
多かった彼女が長い入院生活から外界へ出てその暑い夏の日初めに眼にした
道路工夫さんの裸の背中の汗と筋肉を美しいと感じたという文章だったと思う。
女性としてその時感じた逞しい異性の筋肉と汗は、虹のようにその状況一回の
限りの美だったと思える。その道路工夫さんは筋肉美の仕事をしていた訳では
ない。宇野千代さんも長い病院生活が在った後だからこそそう感じたのだ。
その虹が固定したらそれはネオンサインである。その虹は高橋さんのいう奇態な
心から発し社会的な役割からは発しないのだ。詩人も芸術家もその虹のような
想念の発生装置を社会的役割に明渡し一元化するならそれはもう迷妄というより
ある種の堕落なのだ。

by kakiten | 2006-07-08 15:44 | Comments(0)


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