現代詩手帖今月号の鈴木余位さんの文章を何度も
読み返しながら、やはり大野一雄の「石狩・みち
ゆき・大野一雄」の舞踏公演をトニカのように
思い返している自分がいる。
大野一雄が舞踏を志したアルヘンチーナ。
その亡霊になる最後のステージ。
鮭の生と死、そして誕生の舞踏の後、アルヘンチ
ーナの白い衣装の亡霊は、仮設の板張りの舞台(
この世)から、河口の水(あの世)へと入ってゆく。
雲間より夕陽の煌めく中、水中に身を置いた大野一雄
は入魂の舞踏、水浴び、生への賛歌を全身で表現する。
そして終幕。
そこからだ、ずぶ濡れの衣装のまま舞台へと這い上がり、
観客の為に自ら二曲のアンコールを踊るのだ。
南の島の曲「エストレリータ」と「ラ・パロマ」。
北の晩秋に近い夕暮れ。
冷たい水中のあの世から、仮設舞台のこの世へと戻ってきた
大野一雄は観客の為にもう一度生の賛歌を全身で表現する。
そして感謝の挨拶。
何度も言葉を継ぎ、場と人と風景に感謝した。
場よりも、あるいは、時。
発生ではなく、あくまで再生として。
大野さんの舞踏のよう。
ふたたび、ふたたび、と
ステップのよう。
吉増剛造の2011年12月の「石狩河口/坐ル ふたたび」は、
3・11を経て2012年「ノート君ー古石狩河口から書きはじ
めて」で「怪物君」へのステップを歩み出す。
ここでも「石狩河口/坐ル」は・「古石狩河口」へと再度の
<ふたたび>がある。
大野一雄の戦中・戦後を経た日本近代の深い舞踏への<ふたたび>。
そして鈴木余位の一度封印した8ミリ映像への<ふたたび>。
大野一雄ー吉増剛造ー鈴時余位には、<ふたたび>のトニカが、
<場よりも、あるいは、時。発生ではなく、あくまで再生として。>
、今をステップしていると思える。
私はただただ、この3っの優れた美しい星の、それぞれの再生に、
立ち会えた幸せを、限りない感謝と喜びに感じている。
*川俣正TETRAーHOUSE326展ー12月26日まで。
*森本めぐみ展「百年の予定」展ー12月30日ー1月3日:1月2日休廊
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503