紐育在住の美術家のRさんが来る。
活字職人酒井博史さん、写真家M夫人も一緒だ。
Rさんとももう長い付き合い。
20年位になるだろうか。
東京のYさんから電話が入る。
深川ー清澄白河MOTサテライトで多忙の中、
テンポラリー吉増剛造展延期の一因となった
お詫びとお礼の電話だった。
石田尚志、鈴木余位氏、吉増さんとも交流の深い
凄腕キューレーターと聞く。
いずれ札幌でお会いするのが楽しみな方である。
この処寒さの所為もあり、内向きの心が少し前を
向く。
外部からの刺激が良い薬だ。
Yさんと少し話で触れたが、深川を清澄白河という
地名で呼ぶ事は知らなかった。
東京にも江戸・深川という地方がある。
日本の首都意識から、自らの地方性を喪失するのは、
なにも東京に限った事ではない。
札幌も道都意識から、札幌という地方を忘却しつつある。
経済・政治面だけでなく、基本の文化面でそうなのだ。
札幌だけが美術館も文学館も道立と頭に命名されている。
文化(culture)の語源は本来、培い耕す耕地
の意である。
人間社会の増幅したインフラ意識が、足元の自然風土を
遊離させ、都市や国家という集団社会構造に吸収されている。
個としても足が車・電車に代わり、眼・耳が電波画面で
代用化する。
百聞も百見も電子機器に癒着して、一見も一聞も<如かず>
の真実を喪失しつつある。
自然と向き合い、培(つちか)い・耕(たがや)した風土
という人間的自然環境を捨て、代換え巨人化した国家・都市
媒体エネルギーに易々と身を任せているのが現代人と思う。
カルチャー(耕地)とは故郷・故里(ふるさと)を生んだ最も
人間的な文化の基底なのだ。
風土も故里も磨り減り、インフラ集中の大都市ばかりが都市帝国
化して聳え立つ。
深川ー清澄白河。
江戸は海と川の街、澄んだ白い水の流れが浮かぶ。
東京都現代美術館一年間の改装休館で、足元の耕地探求とは、
良い機会で楽しみですね・・・と話した。
*川俣正TETRAーHOUSE326展ー12月25日まで
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月30日ー1月3日
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503