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2016年 11月 24日

寒気廊ー茨・戸(イバラ・ト)(6)

降り積もる雪は少ないが、寒気鋭く身に刺さる。
画廊の水道管が今季初めて凍結している。
2台ある石油ストーブの一台が電源コードが千切れ
役に立たない。
Mさんが中古店で大型のアラジン式石油ストーブを
見つけ持って来てくれた。
野外で工事の人が使うというものだ。
早速これに点火し暫くすると、凍結した水道蛇口から
水が滴りだし回復する。
気持ちが落ち着いて、昨日遅れ夕刻来てくれたN君と
展示を終えた「川俣正テトラハウス326」展を改めて
見渡す。
フイルムネガを拡大コピーし繋ぎ貼り合わせた巻物状
の記録写真だ。
一軒家の内外に廃材を張り巡らす作業の人と状況が活き
活きと展開し浮き上がる。
丸められて癖の付いた端々を虫ピンや画ピンで押さえ、
壁に拡げた。
乾燥し撓み、丸まっている紙の表情が、時の経過を伝える。
しかし古びる感じはしない。
人の熱気が活きている。

何時の間にか都市構造の中で分離され閉じられていく<住む>
という生活行為。
人間にとって最もラデイカルなこの行為の原点に風穴を開け
るように、川俣正のインスタレーション行為が存在した
からである。
<住む>を剥離された都(みやこ)を都心と呼び、<住>は
郊外へと分離・分断される。
そうした郊外住宅地の一軒が内も外も廃材インスタレーションで
再構成された空間。
そこに人が集い小さな村のようになって、あたかも<住めば都>が
復活したかのように、<住>の地軸が復権していたのだ。
<住む・棲む>という行為の内側には、人間の<生活>の原点がある。
<生>は内なる中心に即した<生きる>であり、<活>は外界へと向か
<活きる>で活動・生業と思う。
そこが一本の主軸となって<住む>は<都>という中心軸となるのだ。
川俣正の仮設行為・インスタレーションは、ひと夏その都ー中心軸を
創っていたと思う。

美術・芸術それ自体がひとつの仮設である。
しかしそれは夢・幻ではない。
人間本来が保っている正夢なのだ。
時代・社会が時として、この正夢を分断する。
今の時代で言えば、住むのは都外、仕事は都心と都が分離されるのが
現実である。
そこでは人が住むという価値観より、経済価値という土地価格が
棲み着いて席巻しているからだ。
そこから<住む>が空洞化した<都心化>現象が起きる。
同時に<住む>が<棲む>化した郊外団地・住宅地が構成される。
そうした状況下で川俣の仮設行為は、<都>という中心軸を<住む>
行為の内に脈打たせ、顕したのだ。

茨・戸ーパラトーパラ(広い)ト(沼・古語で海)へ向かおうとする今、
川俣正のプロジェクトを私は多分時代の風穴の原点として見詰めている。
戸口を求めて、茨(イバラ)の戸口へ。

*川俣正Tetra-House326展ー11月29日ー12月25日
*森本めぐみ展「百年の予定」ー12月29日ー1月3日:月曜定休。
*吉増剛造展ー1月21日ー2月中旬

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2016-11-24 16:19 | Comments(0)


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