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テンポラリー通信

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2006年 07月 02日

「常温で狂乱」藤谷康晴展ー界を生きる(9)

4日から始る藤谷康晴展の展示がほぼ完成した。ペン画で緻密に描かれた白黒
の一番街南側の建物群が、蜃気楼のように鴨居の高さにぐるりと囲むように展示
されている。その下の壁には街の光景が断片で窓や壁に乱舞している。窓のガラ
ス枠に留められた作品は雪の降る街角で纏められ夏の風景と光に浮き上がって
遠い記憶のように見える。それと相対する壁には白と黒の反転するふたつの目玉
のような円の大きめな作品が展示され街路や華やかな物で溢れた建物をブラック
ホールのように見据えている。それは作者自身の観察する眼のようにも思える。
天井の吹き抜け部分に広がる裸電球と和室の構造を残すギヤラリー空間と相まっ
て展示自体がひとつのインスタレーシヨンにもなっているのだ。古い民家が保つ
電気や機械が希薄な二階建ての空間とすべてがオートメ化された都市空間とを
椅子に腰掛けあるいは歩きながらこのふたつの光景を低い位置沈んだ位置から
見る事になる。そしてショッピングビル街を描く作家の視座は人が歩く歩行の眼の
高さで貫かれている為建物の高さは制限され省略され、建物は現実の高さ、見上
げる高さを喪失して描かれている。この省略は作品の緻密で克明なリアルさと相対
するある決断のように思われる。また本来そこにあるはずの建物の名称もそこに居
る筈の人の姿も一切が省かれている。彼は街を背景のように純化しもう一度を自ら
の大きさに描き変える孤独な革命行為をしているのかも知れない。極めて写実に
徹して描かれた街はその時陽炎のように現実のビルと街路を突き抜けて作家が奪
取した透明な存在としてあるようだ。一点だけ独立して壁にかけられた「歯並び」と
いうタイトルの作品がある。それは唯一自分と同じ目の高さで人間が描かれ中央
図書館前の電停を背景に笑う男が描かれている。その<笑う>を<歯並び>と言
い換える醒めた視線に私は作家の等身大の孤独もまた透けて見えるような気が
したのだった。
 
*藤谷康晴展「常温で狂乱」
 7月4日(火)ー16日(日)am11時ーpm7時
*村岸宏昭展「木は水を運ぶ」
 7月18日(火)-28日(金)am11時ーpm7時

by kakiten | 2006-07-02 13:02 | Comments(0)


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