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2016年 10月 19日

深い流れー土曜の夜の夢(9)

今年6月ー8月東京国立近代美術館での吉増剛造展
「現代の眼」に「根の精神(こころ)ー怪物君への道」
を書いた。
その中でふたつの近代というのが大きなテーマだった。
明治維新の文明開化という欧米化・西洋化の流れ、そして
昭和米国占領下の近代化の波。
そうした近代化と対峙し拮抗する精神の系譜として、大野
一雄と吉本隆明の存在を吉増作品の流れの中で位置付けよう
と試みた。
字数制限もあり、文章的には不燃焼なものだったが、大きな
方向性としては悔いはない。

このふたつの近代というテーマが脳裏にあった所為か、今回
の橘内光則展にも同じ流れを感じている。
フライヤーにも使われたトーストと目玉焼き・ソーセージ等
の背景に布袋さんのような浮世絵上の人物が現れる3点セ
ットの絵画。
そしてキャンドルの灯りに和蝋燭・蓮の燭台を翳す和の奇人
の絵画。
このふたつの絵の背後にあるトーストとワインに、戦後近代
アメリカと明治近代ヨーロッパを感じたからである。
そこに挿入された浮世絵の平面的な人物。
欧米近代日本の向こうにあった近代以前の人の姿が、クスリ
と笑いと共に併存しているのだ。
欧州的な物、米国的な物、それらを日常として生活に採り入
れた庶民の日常。
そうした逞しさ、ユーモアが、非日常の国家的近代化とは
どこか一線を画して描かれている。
背景のトーストやワインの方が日常現実であり、浮世絵
風の人物の方が遠い過去であるはずだが、どこかでそれ
が入れ替わって、日常現実が書き割りの舞台装置でしか
無いようにも見えて、それが心にクスリと笑わせる素と
もなっている。
江戸城が皇居となり、江戸が東京となった近現代とは、
そんな書き割りの背景と似た時代でもあるからだろう。

そして来月から始まる「HOPI・カチーナ展」もまた深い
縁を感じる。
東京・吉増展で基調低音のように響いていたのは、1994年
書かれた長編詩「石狩シーツ」である。
その詩中に何度も印象的に繰り返される言葉の一つが<カチー
ナ・ドール>なのだ。

 皺、皺、皺、皺、ーカチーナ・ドール、皺、皺、皺、皺、

 片袖の皺、皺、皺、・・・しュツ
 ishikariの香・・・
 (苦シクテ、アサマデ、カチーナ・ドールノ傍ニ、睡ムル)

そのカチーナ・ドールが昨年来縁あって今年も来る。
東京のオフイス・テンの企画である。
私がこの人形と出合ったのは、1994年頃吉増さんから石狩
滞在中に頂いたのが最初である。
この時期吉増さんはブラジル2年の滞在を切り上げ、詩を書く
事すら断念しようかという苦悩の時期であった。
そこで石狩河口近くに数ヶ月滞在し書き上げたのが長編詩
「石狩シーツ」である。
これが今年の東京展でも大きな底流となっていた。

hopi族の精霊人形カチーナ・ドールはそれぞれが意味を
保っている。
因みに私の頂いたカチーナ・ドールは、病から身を守る精霊
と聞いた。

近代以前の浮世絵の人物達も、どこか精霊のような姿をしている。
八百万の神ではないが、近代以前にはこうした神々が自然への畏怖
と同時に生活の隅々に棲んでいたと思う。
現代はその畏怖が消え、心地よいモンスターのみが跋扈している。
”カワイィ~”に偏重し、前提となる”コワ~イ”が脆弱になっている。
怖いがあってこそ可愛いが生まれ、生きるのだ。
自然とはそういうものである。

橘内光則の描く日常と浮世絵の妖精達がこの後どういう生き延び
方を見せるかは解らない。
しかし日常を反転させる力を保つ彼らを受け入れた以上、可愛い
存在だけでは終わりはしない筈である。
精霊達は怖さがあって生まれた神々でもあるからだ。

カチーナ・ドール展の始まりと共に終わる橘内光則展。
次なる予告のようにこの深い流れは続いている。

*橘内光則展「土曜の夜の夢「ー10月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
*Hopiーカチーナ展ー11月2日(水)ー6日(日)
 am11時ーpm6時(最終日午後5時まで)
 :11月3日お話会ー午後2時~/午後5時~。
  「平和の民ホピ族と精霊カチーナ」:会費1000円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
予告のように

by kakiten | 2016-10-19 14:20 | Comments(0)


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