いま以前の仮事務所だった熊谷透さんの所に世界中を徒歩旅行している
児玉文暁さんが逗留している。私はまだメール便やカタログ等が届いたり
朝晩ここまでの通勤途中に寄るので自然と児玉さんと顔を会わせる事が
多くなった。彼は四国徳島の出身で平成7年からヨーロッパ、南米を3年半
かけて徒歩旅行に出てその後ニユージーランド、オーストラリアの旅を終え
現在日本を歩いている。「歩き人ふみの徒歩世界旅行」という著書を出版し
ていて一冊戴いた。歩く場所も歩く範囲も私とは全然違うのだが何度か話し
ている内に気が合ってきたのだ。一度一緒に円山からここまで歩いたが風
景の変化特に北大農場の風景に感心していた。酒井博史さんの落款ライブ
の打ち上げにも熊谷透さんと来てくれて酒井さんが「ビユーテイフルサンデ
イ」を唄って熊谷さんが踊りだした時は彼も一緒に踊っていた。この時熊さん
は変な幅広の帽子を被っていたがそれが妙に似合ってその時ついた仇名が
サンデイー熊谷とラワンブキトールだ。あの1メートル80センチ位あるラワン
ブキの下にいれば小柄な熊谷さんはコロポックルみたいにみえると思いつけ
られた。そしてこの仇名は結構受けたのだ。気功の先生は同時に悪戯好きの
妖精でもある。ヨーダまで枯れてはいない。それに引き換え児玉さんは人と人
の距離感が透明である。歩きつづけている人の自然な所作振舞いなのかも
しれない。大きな3メートル位のアポロジーの笛を持っていてユーカリの木の
内部をシロアリが空洞にしてしまった物である。ボーっと大きな豊かな音が出
る。そいつを担いで徒歩で旅をするのは大変と思うが本人は苦にしている様子
が無かった。さらに恵庭でインデイアンフリュートの笛まで買ってこれは小さ
いものだが大小の笛を揃え御機嫌のようだった。彼はスナプキン系なのかも
しれない。私自身はさっぽろから出て歩いている訳ではないのだが、<歩く>
行為が他の<歩く>を呼び寄せるように経験している。きっとそれぞれの旅な
のだ。これもひとつの<TRANS>なのかもしれない。九州の美術家阿部守
さんから連絡があり9月13日から鉄と札幌の川の水をテーマに個展をしたい
と言ってきた。彼もまたこの場所に滞在し美術という行為を通して<TRANS
>を見る人と一緒に経験していくだろう。来週から始る藤谷康晴さんの個展中
児玉さんの歩くレクチヤーライブも頭に浮かんだ。「街路」をテーマにした藤谷
さんの展示はこの場所にはピッタリのものである。昨夕一部を展示しながら
作家にとってこの展示するプロセスこそがライブなのだと思った。搬入では
ない。何処にどう置くか、何処でどう見せるか、この過程にもっと見る方も関り
その時間をもっと持つべきと思った。これも<TRANS>の時間なのだ。ここ
を短絡にすると只の展示になってしまう。展示する行為も作家の日程にきちっ
と組みトータルで個展としなければいけないと思う。今流行りのレジデンスとい
う言い方とも違う。展示する行為自体をもっと積極的に会期に繰り込む事だ。
その時作家と見る人は作品を通して共通の行為、共通の眼差しを共有して
くる。それが展覧会という経験を生むのだ。共に会期中歩くのだ。それをギヤ
ラリーというのはゴルフの観客をそういうことに今ふっと気がついた。