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テンポラリー通信

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2016年 08月 25日

自然・社会ー撓む指(11)

「撓む指は羽根 ムラギシ10年」展の私の起点と
なった八木保次・伸子さんの絵画と村岸宏昭の高校3年
の時描かれた絵画。
この世代も生きた時代も大きく異なり、生前会う事も
なかった3人の絵画を通した不思議な共感。
それを偶然並べた時私は感じたのだった。
八木さん夫妻の透徹な北の自然への色彩探求。
一見抽象画・具象画と表現は違うようだが、その色への
強い執着には自然・風土への色彩を通した深い洞察が秘め
られている。
また村岸宏昭の生前一点だけ遺された油彩画は腰から下の
両脚だけを暗い赤と黒の背景に浮かばせ、骨のような両手
が膝を抱いている絵だ。
18歳、時代・社会への不安が伝わる絵だ。
八木保次さんのフキノトウを想わせる緑の抽象絵画。
八木伸子さんのふたつの花瓶の赤・黄・紫・白の花。
そしてその背後全体に広がる美しい黄色。
それは福寿草の春一番の色彩のようだ。

何故この3点に同時に心惹かれたかと考えた。
それは私たちの今の時代が、自然・風土への視座と時代・社会
への視座が近接して存在している事と無関係ではない。
むしろ自然と人間社会の緩衝地帯のような、風土というものが
どんどんすり減りって、剥き出しに自然と向き合う時代が
来つつある。
ある時代まで、人は自然と人間社会の間に自然と調和した
緩衝世界を創ってきた。
故郷という自然に根差したそれぞれ固有の風土ゾーンである。
それが摩滅しつつあり、そこに剥き出しの自然が顔を出す。
これは恐ろしい事である。
地球全体で今そうした現象が現れつつある。
私が共感した3人の絵画は、自然・社会への回路を同時代の
回路として表現し、存在していると思えたのだ。
従って村岸をまん中に八木保次、伸子と並べて違和感もなく
展示正面に据えたのだ。

時代・社会は益々カードのような社会に向かいつつある。
人ひとりひとりではなく、人はカードに代行され存在する社会だ。
町や村も大都会のカードのように統合されてゆくだろう。
その時代への不安と自然に繋がる風土の色彩の発見。
その両方の視座が、この3点には深く宿って今心打つのである。

台風が3っも同時に来襲し、北海道直撃は初めてという。
さらに迷走台風が再び勢いを増し直撃するという。
そしていつも行くお店に入れば、同じ言葉で始まる。
”カードお持ちですか?”
いつか人も町もカードと化して、剥き出しの利便性回路だけとなり、
自然は剥き出しの野生となって、人間社会を薙ぎ倒すのだろうか。


 テンポラリースペース札幌北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2016-08-25 12:58 | Comments(1)
Commented at 2016-09-02 14:46 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


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