午前11時から午後7時半まで休みなく彫りつづけていた。それは職人魂とで
もいうべき集中力であった。熊谷透さんの気功の会の「風の舟」に始まり最後
の久野志乃さんの「幸」までずーっと彫りつづけ会場は見守る人も含め人の
切れ目がほとんどなかった。壁に捺印の試し押し完成印が貼られどんどん増
えていった。最後の「幸」の判の完成を待ちかねたように大家の岩澤さんの釣っ
た宗八鰈の揚げ物や奥様の焼きそばその他みんなからの差し入れが出され
乾杯、ご苦労様でビールが開いた。それからは10数人がわいわいと酒井博史
さんの1日を祝い慰労した。酒井さんは疲れはないと言っていい顔で笑ってい
る。ただ奥歯の食い縛る顎の付け根が痛いと言っていた。集中した時に歯を
噛み締めていた性だろうと思う。彼の落款彫りのライブは改めて人の手の技
が保つストレートな迫力物を造る素朴な感動を見る人に与えたと思う。いい時
間いい1日だった。4月下旬から改装工事に入りその間ともに労働した仲間が
この落款ライブを盛り上げていた。自然とそういう友人たちがコアとなっていた。
そしてハンコ屋酒井を応援していた。これからも何処へいこうとその磁場が彼の
地場となっていくに違いない。光回線に変えインターネットは回復したが5月12
日以降6月16日までのメール受信分はすべて失われていた。ADSLのメタル
回線で受信していたメールは光回線に切り替えられると同時に捨てられついに
見る事が出来ないのだ。プレオープンのご案内を出した後メールを送っていた
だいた方々には大変失礼をしたことになる。ご返事を出せないでいたのはそう
いう事情です。この場でお詫び致します。同じNTTなのにひどいなあほんとに。
大口の北大というゾーンに近い性かこの周囲は光ケーブル化が完了していて
それ以外は一切入れない4次元の帝国が存在しているのだ。北大の広大な
敷地に沿って斜めに伸びるこの界隈が保っているもうひとつの界(エッジ)で
ある。北大農場のもつさっぽろの原風景にぴったりと寄り添うように観えない
経済の帝国主義が張り巡らされていたのだ。これもいい経験だった。ハンコ
ひとつ手で彫るように自分もまた自分の身体ひとつでここでさっぽろを刻みつ
づけていく、それは人と人が新鮮に出会う空間という名のギヤラリーを続ける
事で自分が自分に架した仕事なのだと思う。開き、広がっていく精神の軸足は
自らの身体性と地場から発しようとするが<お客様のお住まいの地域はすでに
電話回線の光ケーブル化が完了>という非身体性の現実と日常的に向き合い
対峙している毎日をも併せ持っているのだ。少し疲れた頭で分析する今の自分
がいる。