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テンポラリー通信

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2016年 07月 28日

俯瞰する時ー回路(30)

そういう時が訪れているのだろうか。
黒澤明の「白痴」の舞台となった時代の札幌の街。
その時代の事が記憶と共に、甦る。
北海道新聞数日前の特集記事。
戦後、美術への志向をいけばなに置き換え、自らの再生
を図った父。
戦後モダニズムの波に乗り経済優先の時代に乗った母。
その父・母の心の境目が、私の札幌の改変時と重なる。
私は父・母の分かれた価値観に引き裂かれ、翻弄された。
父の遺した北大構内と思われる近代建築と巨樹の絵画。
その絵に籠められた戦後解放の夢は、市街地再開発という
街の市街地ビル化で、喪われていった。
根を保ったコアとしての街は、消費の多彩なパック化・
ビル化で住・民の根は、固有の風土とともに消える。
同時期摩天楼の高層ビル街を捨て、ヒューマンスケール
を志すショッピングモールを展開したアメリカとは真逆
の方向だった事に誰も疑問を抱かなかった。
大きい事は良い事だ、隣の家が小さく見えます。
そんなコマーシャルが世を席捲していたから。
父・祖父が育てた店という小さな文化の根。
周囲のそれぞれの専門店にも、そうした文化のコアが在った
と、今振り返り思う。
エルム(春楡)の都と呼ばれた、札幌の土壌・風土と確かな
接点を保った商店街という一角が、私の知らなかったそれぞれ
の町内にもあったのだろう。
最近東屯田通を語る酒井博史さんの文章や、西の旧国道沿い
で頑張る坂さんのレトロスペースでの奮闘ぶりにそれを感じ
ている。
きっとまだまだ別のそれぞれの街角物語は在るに違いない。
同じブランド。有名企業の出店・支店が入れ替わり軒を並べ
浮いては消える。
アメリカ屋靴店、キディーランド、三峰、日本堂、デルコ
私の記憶する店名だけでも、その位はある。
みんな優秀な支店長がいたが、根を張り骨を埋める人の記憶
は無い。
従ってそれらの店が、地に根差した固有の歴史・文化を今語る
なにものも残っていないのだ。
現在田原書店の田原洋朗さんが続けている「富貴堂物語」のよ
うに、一誠堂物語も平野煙草店物語も丸美帽子店物語も生まれ
る街角と市街地パックされたビル群とは違うものなのだ。

文化の根・磁(地)場とは、小さなコアの存在である。
とりあえず何気なく在るテンポラリーな街角が、地域固有の
文化の根となる。
エルムの都・エルムの学園とはその総称なのだ。
高水位を好むエルム・春楡の並木を、地下鉄工事で葬り去り、
根の浅いオオバボタイジュに切り替えると同じように、人の
文化の根も抜いてこの半世紀近くがあった。

川俣正の三笠、吉増剛造の福生。
それぞれの地域の物語に根差して表現の根の俯瞰が生まれている。
歳月を経て、今人生そのものを俯瞰しつつ新たな土台・ステージ
を創らんとしている。
自分自身の人生が、生き方が、風土ともなる、人生のちゃぶ台
返しでもあるのだ。
父・母からの生に自立して、もう己自身がひとつの風土だ。

私自身もその小さな貧しい人生の、そういう岐路に立っている。

*「石狩・吉増剛造 1994」展ー7月31日まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休(都合により水・金午後3時閉朗)
*ムラギシ没後10年展ー8月9日ー14日:12日追悼ライブ。

 :「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
  東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2016-07-28 13:32 | Comments(0)


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