何気なくF・Bを見ていら、友人のNが写っていた。
北海道ではないようだ。
一緒に写っているTさんがそうだ。
先日電話したが出なかったので、少し冷やかし気味に
コメントを入れた。
するとTさんから、南ですと返答があった。
あっ、奄美大島だなあ、と気付く。
現代の淺市は、南かと思う。
淺市とは登山家大島亮吉と石狩川源流遡行に同行した
アイヌの案内人である。
この時の大島亮吉の名エッセイは、吉増剛造の「大病院
脇に聳え立つ一本の巨樹への手紙」の重要なモチーフと
なっている。
長編詩「石狩シーツ」においても、淺市という名が印象的
に出てくる。
そして実はNという実名も出てくるのである。
彼は1994年当時、吉増剛造にとって大島亮吉の淺市のよ
うな存在だったと私は思う。
彼には是非東京・竹橋の吉増展を見てほしい。
この展覧会は「石狩シーツ」が基調低音だぜ、と伝えたい。
そして他のコメントにもうひとり懐かしい人の名を見つけた。
A・太郎である。
彼もNの顔を見つけ思わずコメントしたと見える。
登山画家の熊谷榧(カヤ)さんの個展が毎年続いていた時、
当時H近代美術館の学芸員だったAと、榧さん、Nと何度か
冬山登山に行ったのだ。
画家熊谷守一の娘である榧さんは、冬の山をモチーフに絵画
を描き続けていた。
制作のモチーフに来たら必ず冬山へ登っていた。
その記録エッセイは、「北海道の山を登る」という一冊
の絵とエッセイの本となっている。
私やN、Aも絵画素材となってこの本に収録されている。
このエッセイの中でも傑作は、Nと二人だけで登った時の
榧さんの心境と彼を描いた絵画だろうと思う。
登山家の一度入山した時の純粋さと絵描きの絵を描く為と
いう心の中心の対立が山中で明白に顕れる部分だ。
嵐の避難小屋でここから一歩も出ないというNと、もう絵
は無理だからサッサと下山しようと焦る榧さん。
その気持ちが、眠るNを描く素描にありありと出ている。
それは翌年油彩の絵画となって発表された。
今も眠るNの素描デッサンのコピーは私の手元に残っている。
顔だけの描写が実にリアルだ。
普段榧さんは山中の人物をこんなにリアルに描くことはない。
大荒れの山中で山小屋での対立。
その凝縮した空気に満ちている絵画だ。
榧さんはきっと一旦山には入ると梃子でも自分の信念を曲げな
い頑固な山男をその寝顔を丹念に描く事で対峙している心境だ
ったのだろう。
そんな根っからの山男を吉増さんも尊敬したのか、「石狩シーツ
」の中でも実名で登場する。
大野一雄の石狩河口の舞台も彼の尽力に拠る処が大きい。
そんな彼にも是非竹橋・吉増剛造展を見て欲しい。
あの展覧会の見えない杭のひとつは間違いなく彼でもあるからだ。
*「石狩・吉増剛造、1994」展ー7月31日まで。
am11時ーpm7時:月曜定休(水・金都合により午後3時閉廊)
*ムラギシ没後10年展ー8月8日ー14日:12日夕ライブ。
:「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」ー8月7日まで。
アm10時ーpm5時:月曜定休。
東京国立近代美術館 東京都千代田区北の丸公園3-1
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503