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テンポラリー通信

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2006年 06月 18日

てん刻のライブー斜め通り界隈(3)

今日1日酒井博史さんの石に落款を彫り続けるてん刻ライブが始った。3代目
のハンコ屋さんとして東屯田通りにお店を持って頑張っているが今回は実際に
注文された字を目の前で彫りその捺印した試作を壁に展示しながらのパフオー
マンスと捺印のインスタレーシヨンとなる。彼はすでに自分のブログに次のよう
に書いている。
<ここでハツキリのちのちまで残る形で宣言しておく。時代ノ最後尾ヲ独り逆走
スル宣言。今の店舗は近い将来移転します。場所は北区です。今までも「さら
ばあけぼの」といつてきたがここに推し止まっていたら絶対に根底からの決別
は出来ない。だから移転します。生まれた街は名残がないとはいわないが、今、
この街を捨てます。(中略)それから、自分の「作品」を前面に出します。今まで
自分のつくったものは「製品」としか考えていなかった。でも、これは「製品」であ
ると同時にオレの「作品」です。「作品」をつくり、展示します。そして販売します。
無謀と思われるかもしれないが、ここまできたら、捨て身で反攻するだけ。全精
力をここに突っ込みます。活字と印鑑と次の場所に、全部擲ちます。倒れるなら
そこで倒れます。以上時代ノ最後尾ヲ独り逆走スル宣言、終わり。>
今回のてん刻ライブはいわばこの宣言の実践という事になる。5月の高臣大介
展以来ケンちゃんの名刺に凹みを入れる古い機械を駆使してみせてみんなに
新鮮な感動を与えたり、お祖父さんの時代からの刻印の道具を持ってきて手で
ノミを使い石に判を彫り活字による印刷を披露してきた事が職人としての自信と
誇りにもなつてきたのだろうと思う。コンピユーター全盛の時代に手仕事としての
職を大事にしその事を理解する人たちが物を創る若いアーテイストを中心にいる
事もまた彼の自信回復に寄与しているのかもしれない。思えばこの街はいつの
まにか<農>ナシ<商>ナシ<職>ナシの街になってきた。農業の人は農を
捨て土地を貸すだけのマンシヨン屋になり商の人は自分の商売よりブランド物を
扱う転売屋になったり国内外のテナントの貸しビルの家主となり職人の手は
コンピユーターに取って換わられ機械を操作するだけの技術屋になっている。
固有の道具、固有の店、固有の農作物はかって当り前のようにその土地の顔
としてあったと思うがそれは個人の家にさえもそこ固有の味としてあったと思うが
今は外食が家庭の味、手作りの味を売り物にし本来の内食はチーンと電子レン
ジやインスタント、レトルト食品に取って代られている。酒井博史さんが本来の
<職>の人として宣言し立ち上がる事は当り前のことだがある種革命的なこと
であると思うのだ。<逆走スル宣言>は実は時代の風潮に対する正当な生き方
の宣言でもあるだろう。人間の個の部分を離れ逆走しているのは実は時代の方
なのだ。二三日前酒井さんと同じ年齢の吉成秀夫さんが来た。
彼も今勤めている古本屋さんを辞め独立すると言う。もしふたりが将来並んで
お店を開いたらここの界隈はまた新しいしかし正当な<職>と<商>が芽生え
てくるような気がする。さっぽろという掛け替えのない自分たちが生きていく場所
が内側からカルチベートし開かれていく事、私が歩き探した<志>の事もそこ
にあったから。

by kakiten | 2006-06-18 13:13 | Comments(0)


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