まだ3月初めだから寒くて当然。
だが暖かい日がふっと入るので、その寒暖差に気持ちと
体が追いつかない。
それに電気機器のトラブルが続きなおさら輪をかける。
パソコンに続き、今度は電話が不調だ。
Faxの受信する電話機と1,2階で受けられる子機
付きの電話機が連動していたのが連動しなくなる。
留守録も作動せず、短く鳴って遮断するようだ。
今もfaxで連絡をくれる吉増さんや加藤玖仁子さんなど
FAX受信も欠かせないし、1,2階で受けれる親子受話器
もあった方がいいのだ。
メールとか普及してなかった時代のfax付電話機も捨てずに
使っていて、子機付は今の場所に来て購入したものだ。
物持ちが良い所為か、すぐスマホとかに切り替えられない
性分である。
手書きがそのまま送られてくるfaxにはfaxの良さがある。
とりあえず下にいても2階に駆け上がるようにして、fax付の
電話機を優先した。
電気機器が日常に相当な比重で加わっている。
私などはまだまだアナログ人間であるが、それでも日常の
インフラの多くが電気をエネルギーとするものだ。
便利で速い性能に吸い込まれて、手段の道具が機械という
主役となりつつある。
道具でなく主役に依存してしまう危うさだ。
その結果利便性という便利さと速さを代償に、直線的に何か
を省略して日常が構成される。
その省略が省略でなくなると、そこでまた機械という主役に
振り回されるのだ。
道具という次元は、電話ならfax付電話機までで、その後は
機械的電子機器の進化のまま新しい方が速くて便利という
利便性の一本道を直進するだけだ。
この利便性のペーブメントは、人の日常・思考回路にも今
反映して都市には矢印のように道にも建物にも歩行にもその
矢印本質が張り巡らされている。
五臓六腑の希薄な神経伝達の電波が直流する機械ロボットに
似る人間がペーブメントを猛進する。
道具の不調ひとつ、ふたつで、こうも苛々するする自分もまた
その人類の一員である事もまた間違いない事実である。
そうした苛々の続く中で、先日の高臣大介展最終日夜の酒井
博史さんのライブ映像を高臣さんのブログ見た。
中嶋みゆきの「ファイト」を歌った動画である。
この声・歌詞。
当日の感動が蘇る。
やはり声だなあ、そして歌い上げる心だなあ。
ちょうど来た山田航さんと見たが、彼が届けてくれたレトロ
スペースの坂館長のお土産坂ビスケットを頬張りながら、懐古
ではないラデイカルな時間を思った。
レトロスペースも親会社の方針で存続が危ぶまれているという。
片腕の副館長も首になり、館長ひとり闘っている。
そこへ先日訪ねた時、坂さんは非常に喜んでくれ記念にみんな
で記念写真を撮ったのだ。
その写真と坂ビスケット一箱を山田さんが運んでくれた。
坂さんは坂さんなりにこの会社のビスケットを愛している。
何故なら坂さんのお土産はいつもこのビスケットだからである。
山田さんは今連載中の「モノローグ紀行」でこのレトロスペース
を取り上げ、坂さん本人をテーマとするだろう。
人と物、人と場所、人と道具。
人が消えたら、感動は生まれない。
酒井さんの絶唱を聞きながら、胸が熱くなり思っていた。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
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