1950年から51年にかけて26歳から27歳の
吉本隆明が書いた「日時計篇」528篇を写経のよ
うに、吉増自身の言葉を借りれば筆耕して「怪物君」
の草稿は下書きされている。
その吉本の詩行に、言葉を添え色を付け、言葉を発し、
その過程を自らgozocineとして記録した草稿
が現在700葉弱となる。
吉本隆明の日時計篇162篇目の「冬の遺書」を
朗読し解説した音声が届いていた。
吉本隆明が亡くなって追悼の集まりで録音された
ものだ。
敗戦し復興途上にあった日本が戦後最初に経験する
高度成長期朝鮮動乱による経済特需の年が1950年
である。
現在に繋がる経済先行のバブルへの流れが生まれた
年といってもいい年である。
その時代の岐路で青年吉本隆明は戦中戦後の思想の闇
の中で「冬の遺書」を書いている。
その中の詩行に食い入るように読み解く吉増剛造の
朗読と解析。
そこに戦後モダニズムの天才の時代の基層部に迫る
本当の詩人の姿が浮き上がってくる。
はるか下のペーブメント
という吉本の詩行に注目し解析し朗読する吉増剛造。
かって朝鮮動乱から始まった高度成長時代に建設される
ハイウエーと呼び、スカイウエーと持て囃された高速道路
時代の到来。
その時代の寵児のように、疾走する詩人と持て囃された
吉増剛造が天空を走るハイウエーではなく、<はるか下の
ペーブメント>という吉本隆明の垂直な地下への思想に
感応している。
手元に日時計篇がないので、吉増さんの朗読を聴きながら
の引用で不充分となるが、
暗い冬が吊り篭のようにぶら下げた建築物
という出だしの詩行は、まるで地下基盤杭打ち偽装の時代を
予兆するかのようだ。
そして、
こしらえられた影にある暗いひとつの遺書を見よ
・・・・・
愚かな父の遺した遺書は はるか下のペーブメントの上にある
と、戦後高度成長時代の足下に潜む日本近代の亀裂の思想底流を
<父>に象徴し詩行に刻んでいる。
吉増自身の言葉に添えば<一文字一文字米粒を拾うように>
吉本の言葉を読み込み解析している。
今吉増が試みている「怪物君」草稿は、そうした日本近代の
地下底流・伏流水とショートカットされた表川・新川との血ま
みれの闘いの記録なのだ。
この録音を流しながら会場に居ると、その静かな熱い闘いの呼吸
が、血肉に染入って在るように草稿が見えてくる。
*吉増剛造展「怪物君 歌垣」-1月10日(日)まで。
am11時ーpm7時:月曜定休・正月3ヵ日休廊。
;参加作家 ぅ鈴木余位(映像)・村上仁美(花)・山田航(歌)
:フライヤー制作 中嶋幸治 酒井博史
;会場構成 河田雅文
+高臣大介ガラス展ー1月下旬前後期2週間
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503