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2015年 09月 22日

形(かたち)と容(かたち)-花(15)

以前にも触れた事があるが、形容という文字で表される
ふたつの<かたち>・形と容。
<形>は外在的要素条件から形作られ、<容>は、内在的
要素条件から容作られる。
顔を表現すると解り易い。
容貌と美形である。
よく幼い頃美形でも、歳と共に変わる場合がある。
これは食生活や生き方という内在的要素が顔を変えるのだろう。
勿論その逆もある。
年齢を重ねて良い顔になる人もいる。

内在的要素というのに内臓も加わっている気がする。
外在的要素には、筋肉の存在もあると思う。
「何でも鑑定団」という番組を見ていて、骨董や美術品を
持ち込むのは男性が多い気がする。
そしてその大半は奥さんである女性が否定的である。
男は外からの権威付けに依拠する。
女性は小汚いとか薄気味悪いとか体内生理感覚で否定する。
これらの相違は、外に向いている筋肉言語と内側に一旦飲み
込むような内臓言語の相違だろうと思える。
予想に反して高額な判定が出ると、奥様方は大喜びでその後
これを売って旅行や美味な物を食べたいと反応する。
内臓が喜ぶものを素直に求めるのだ。
<形と容>のふたつの<かたち>と同じ事が言えるような
気がする。
精神的な頭脳の内臓言語もあるけれど、もっと即物的な内臓
言語もある。
五体五感・五臓六腑でかき消されている第六感・第六臓。
その第六の脳と霊感が生み育て形容(かたち)化するもの。
それらの一つが容貌という自らの経験が造る顔であり、作品と
も呼ばれる芸術・文化なのだと思う。

内臓と筋肉がともに協調しあって人は何かを創り続ける。
その価値は第六番目の形容(かたち)を生む事だ。
fineーartともconーtemporaryともいう
超・チョーなのだ。
幻夢の実体化である。
従ってその最もプリミテイブな個的様態が恋であり、子供を
産む行為だろう。
内臓言語の具現化だ。
そしてあらゆる芸術・美術の創造だ。
それは時代の内臓言語と筋肉言語生む創造ともいえる。

内臓言語の本能的欲望に追従せず、筋肉言語の暴力的増幅に屈服
もせず、偏らず一体・身体となって、時代を形容(かたち)作らなければ
ならない。

+佐佐木方斎展「Housai’s Early Works」10月6日(火)
 -18日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2015-09-22 13:13 | Comments(0)


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