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テンポラリー通信

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2015年 08月 11日

風景の根ー窓(21)

  すぐれた地相には急所というものがある。
  ・・・そこに立って四方を眺め渡すと、
  地相の趣意が一気に析出し、風景として結晶する。


               中村良夫「風景学実践篇」

この地相の急所・風景の結晶を感じる場が薄くなってきている。
郊外も街中からも地相の趣意は途絶えて見慣れ平均化された風景が
広がっている。
地相自体もまた削られ起伏を消されている。
地相の代わりに高層ビル群と地下舗道が高低を造る。
そこに風景の結晶はない。
あるのは利便性と物流の流路のような指示通路、そして吸収しビルの
高みへ吸引するタワー構造と囲い込むドームプラザ構造の消費地相だ。
かってそんなに遠くない時代まであった人と風景との回路は、今急速に我
々の風景から喪われつつある。
いわゆる地方もまた、原発に象徴される大都市圏エネルギー供給の基地化
が進み、とりわけ今回の大地震原発事故で地相の白紙化が進んでいる。
<すぐれた地相には急所というものがある>その<地相の趣意が一気に
析出し、風景として結晶する。>
かって我々はこの風景の結晶という地点に、風景との回路を構築し生きて
いたのではないだろうか。
小さな祠や社、そして村境や街道の入り口・出口。
境界という界(さかい)の世界が地相と寄り添って豊かだったのだ。
それは今でも旧街道と呼ばれた道を歩けば実感される事実である。

メタ佐藤さんが「光景ー夜を昼にする」展で表現したのは、家の近く
の小さな丘陵地帯を歩き、そこの夜景に朝撮った陽光を射し入れ構成
したものだ。
そしてこの陽光の入射位置こそが、メタ佐藤さんの捉えた<風景の結晶>
地点であると思われる。
彼は近くの裏山ともいうべき小さな丘陵を歩き、そこに風景の結晶を再生
させようと試みている。
都市郊外の僅かに残され佇む自然の内に、カメラという光の道具を用いて
自ら光の祠(ほこら)を開き、可視化した作品である。
この朝の光の光点は風景の結晶として、隠れた地相への賛歌としても
記憶されるものだと思う。
そして問われるのは、地相の趣意というメッセージを見失ってきた我々の
生き方そのものであり、メタ佐藤さんのそうした時代への対峙の表現でも
あるだろう。。

*村上仁美・高臣大介展「Water Fall-花とガラス」-9月1日ー6日
 am11時ーpm7時。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-08-11 12:59 | Comments(0)


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