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テンポラリー通信

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2015年 06月 28日

曇天・小雨降るー屋根(26)

今日も肌寒い。
やはり上着は厚め茶の冬服にした。
あとはいつもの帽子で、ズボンは黒のこれも冬穿いていたもの。
傘は持たず帽子が代用。
サビタだろうか、白い花が綺麗に咲いている。
木々の緑が濃く、緑の夏は深まっている。

先日一緒に藻岩山麓の湧き水を採りに行ったY君からメールで
ポプラの語源の教示があった。
キリストの磔に因む祈りの樹影の意味や人の集まる人民の意味
があるという。
茨戸の岡崎文吉に纏わるあの二本ポプラを思い出していた。
護岸の為に耕作地の境界に植えられたポプラの精神に相応しい
気がした。
同時期輸入され植えられた北大のポプラ並木は、人の集まる点で
正にその意味が当てはまる。
茨戸のひっそりと立つ二本のポプラは受難の磔の樹かもしれない。

ギャラリーの壁の蔦もまるでマリモのように深く濃くなった。
これが秋には数日間の紅葉で深紅となる。
8年前移転して来た時には蔦の蔓だけが、辛うじて細々と壁を這っ
ていただけだったが、人が常時出入りし湿度が増した所為かここ
3,4年で随分繁茂になった。
木造の古民家ならではの自然の復活である。
家も植物もまた人と共に生きている。
人の居なくなった3・11原発事故影響下の廃村の様子を朝TV
で見たが、この捨てられた家屋の自然復帰は痛々しく、荒々しい
無残なものだった。
人と共存しない野生の自然は、荒ぶる野生の復活で恐い自然である。
人と共存の自然は故里のようで、可愛い優しさに満ちている。
例え人の手で植えられた樹木・花であっても人に馴染み、共存してる
時は野性にはならず、戻る事も無い。
動物も同じなのだと思う。
ペットや飼育された牛・馬・鶏たちを見てもそう思う。
動物も植物たちも、同じように人とともに生きている。
山や森や野も、きっと同じである。
それらを総称して、人は故郷と呼んだのだ。

その故郷世界がどんどん崩壊して、先鋭な線引きが進行している。
空も森も山も、植物・動物も人も家の屋根も豊かな境界を喪い
直線化したショートカットの効率化と利便性の切り身パックに変貌
しつつある。
天に聳えるタワー構造、地に蔓延るプラザ(囲繞地)構造。
通りという蛇行構造は衰退し、囲い込みと吸い上げの消費ゾーンが、
自然という人類誕生から共存していた故郷を削除しつつある。
自然はきっとやがてあの3・11以降の捨てられた村・町のように
野生の姿を露わにして人そのものを拒否し荒ぶる姿を露にするに違い
ない。

女性達がよく発する”可愛い~”が、”怖~い”へ変わる日なのだ。

+瀬川葉子展ー7月20日ー31日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-06-28 13:37 | Comments(0)


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