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テンポラリー通信

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2015年 05月 23日

屋根と空(Ⅱ)-斜道(35)

屋根の下には、それぞれ壁と窓と入り口がある。
人間でいうと顔と胴体だ。
つまり建物はヒューマンスケールで建ち並んでいる。
頭の屋根の上には空が広がる。
こういう家並みには、通りが息づく。
歩く人は自然と家を見、屋根と空を見る。
従って歩き方もゆっくりで、ゆらゆらと逍遥する。
この人の有り様は、市電の車中に似ている。

小樽の運河もこうした街並みが水面に写る風景で街と
共存していたのだろう。
藤森茂男の描いた運河がそうだった。
空と建物と屋根、浮かぶ船の影が、画面の半分を占め
ていたから。

アメリカが摩天楼の街区を捨て、ショッピングセンター
を郊外に造っていった理念は、建物の高さが地上2階、
地下を入れて3階までがヒューマンスケールである、
という考え方だった。
昔全米の代表的なショッピングセンターを視察した時
語られた講師の言である。
M・M・Mというマーチャン、マーケット、何とかM
というツアーだった。
さらにこの講師がにゃりと笑って言った言葉は今も忘
れない。
MMMは、メーク、モアー、マネーの略だ(にゃり・笑)
買い物という最も人間的な行為の空間。
そこに摩天楼の高層ビル群を断念し、郊外へモールという
人工の川や森のある遊歩道を備えたショップ街を造る。
その時建物全体の高さを2階までとするヒューマンスケ
ール・等身大が基本とされたのだ。
摩天楼の高層ビル群もまたアメリカの夢だっただろう。
多人種移民国家であるUnited State of America
は、富を得る事こそが共通の夢だったから摩天楼は
正にその象徴だった筈だ。
自由の女神とその向こうに立つ摩天楼。
これこそがある時代まで描かれるアメリカのイメージその
ものであった。
そのアメリカが高層ビル街を捨て、ショップという最も人間
的な行為の街を、等身大の街として理念したのだ。
日本では高層ビルも、ショッピングセンターもと、両方を
機能的な面のみで盛んに取り入れ街を改造している。
そこには高層ビルから低層へ移る相反する理念の闘いがない。

私は小樽を訪ね思った事は、通りの多いこの街はすでにアメリ
カがモールとして造った理念がもう歴史的に存在している、と
思った事だった。
古来日本人が門前町や寺前町、停車場通りとして育んできた
通りを言わば摩天楼化し、地下化する愚を冒していると感じる
のだ。
札幌はその典型である。
私が帰国した後、市の中心部は高層ビル化し、通りは消えて
地下歩行空間が広がり、地上の通りは車がメインの車道となっ
て地上店は消えていく。
同時に郊外にショッピングセンター紛いのものが建設され、
新札幌などと命名された。
駅前通り、狸小路、東屯田通り、裏参道等々前からあった
日本的モールは廃れて、タワー化したビルショップや
プラザという名の囲い込んだ空間に吸い込まれている。
この構造はスマホに外界を吸い込まれて歩く現代の意識構造
と同じなのだ。
高層ビルという資本のタワーに、理念無き富の欲望が吸引され
その欲望のまま吸い込まれ吐き出される。
通りを失った街は、購買の欲だけが優先する街となる。
余計な空も低い屋根も要らない街となる。

二つの街を見て思う事は、発展進歩とは何か、という問いである。
人には色んな意見があるだろう。
小樽は寂れて、札幌は繁栄している。
それも一面あるだろう。
しかしその繁栄の基となったアメリカでは、断念と展開があって
摩天楼とモールが生まれたのだ。
理念無き模倣に継続は生まれない。
いつかまた日本にも札幌にも、通りを懐かしむ本来の心が蘇るに
違いない。
文化の問題として、思想の問題として街を見詰めなければならぬ。

*佐佐木方斎展「Primary Painting」-6月2日(火)
 -14日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503


by kakiten | 2015-05-23 14:55 | Comments(0)


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