夕刻通院前のひと時、及川さんとのライブを明日にひかえた
山田さんが来る。
明日のライブの歌原稿を見せてくれる。
及川さんの詩、山田さんの詩だ。
これらがどんなメロディーとなって声を発っするのだろう。
滔々と流れる石狩川のように人と時と場所の流れが、そこに
立つ二本のポプラの垂直な縦軸と交わり、ジャンル・年齢・
性別の横軸を超え交差する。
移動・移住・移民の<移>ばかりが増幅増殖して、現代は
難動・難住・難民と、<難>という<×>が<移>を侵食
している。
難を逃れる為に<移>には<動・住・民>という主体を孕ん
でいたはずだが、その根の軸を枯らして移は難に変わる現象
が浮き出ている。
都会漂流、限界集落、故郷喪失、国家崩壊難民増加。
移るが漂流となって、動・住・民という主体性の根が細くな
っている。
茨戸に立つ二本のポプラを主題とする事は、この世界の根を
見つめ直すという事だ。
遠い中東の難民だけが難民なのではない。
地震・津波・台風のような天変地異だけに留まらず、私達も
心の漂流・難民の現実を時に柔らかく抱えて生きている。
その現実と如何に向き合い闘うか。
その一点に現代の動・住、そして民という国・族の意識の
ランドへの意識化がある。
移り変わるという現象は何も今更始まった事ではない。
古来移り変わるものは移ろう浮世として意識されてきたのだ。
ただ現代はそれが過速度で急速である。
浮世と達観できるような緩い蛇行の感慨をもつ余裕も無い。
すべてにおいてショートカットされ直線化が優先される。
川も道も建物も都市構造そのものも。
物流の利便性に集中される現代のショートカットの直線性と
生命の有機的な流れは同じ速度では有り得ない。
その象徴があの二本のポプラの立つ風景なのだ。
私はそう思って二つの歌を聴く。
+及川恒平・山田航ライブ「二本のポプラをめぐる二つのうた」
5月16日(土)午後5時~予約2500円。
*佐佐木方斎展「Primary Painting」-6月2日
(火)-14日(日)am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503