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テンポラリー通信

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2015年 04月 29日

過剰なるⅢ-斜道(16)

アキタヒデキ展を見てきた。
力の篭ったフライヤーに触発され以展示前に多々書いたが
展覧会を見ると新たな感想が湧いて来る。
喫茶店脇のギヤラリースペースでは「こころ」と題された
写真がびっしり並んでいた。
ここでフライヤーをさらに纏めた小冊子を頂く。
この小冊子は自らの写真の来歴を5つのテーマで分け写真
と5っの文章で構成されている。
「ベトナム」「石狩」「旭川」「ベトナムと石狩と旭川」
「札幌」の5っである。
展示もその主題に沿って縦横にきちっと桝目のように整然
と並べられている。
一つ一つの写真が以前見たものも含めて新鮮で、オーラを
発している。
何だろうか、このオーラは・・・。
そして会場を出てからふっと思った。
あれは原稿用紙の桝目と文字だな・・。
文章自体も優れているが、写真の配置と一葉一葉の情感が
一行一行のように立っているのだ。
5っのテーマの設定と展示の配置は、正に文章の小表題と
文面のように構成され、縦書きの写真による原稿の感がある。
過剰なる人アキタヒデキが畳に正座しているかのようだ。
初めての写真だけの個展で、彼は真摯に自分の写真と向き合い
その来歴を整理し、そこに通底している自己史を述べている。
生まれ故郷の旭川時代、家を出て札幌の時代、そして異国ベト
ナムでの体験、そこから帰国した後歩いた石狩河口。
それらの魂の遍歴が文章と写真によって深々と語られているのだ。

彼にとって写真とは何であろうか。
写真は基本的にはポジとネガで構成される。
人の心もまた、記憶に刻まれた膨大な日々のネガ(陰画)で構成
されている。
そのネガ(陰画)の多くは心の奥に潜み、表へ他者へとは滅多に
姿を現す事はない。
その内面のネガがポジとして陽画となり、表に顕れるひとつの回路
が写真というものではないのだろうか。
旭川から札幌へ出てきた時代いつもポケットにウオークマンがあっ
たと彼は書いている。

 全てをシャットアウトして、イヤホンで耳を塞ぐ。周りの音
 など聞こえない。

そして写真と出会い世界とのつながり方を知る。

 写真は私に、悩みや我慢したって溢れてしまう苦しみと一緒に
 世界の美しさを教えてくれた。うまく生きられない私に、世界
 とのつながり方を教えてくれた。
 ・・・・・

この閉じたナイーブな青年の心が、写真という回路を得る事で同時
に自らの心のネガ(陰画)をポジ(陽画)に、外界・世界へと歩み
進んだ一歩一歩の足跡が、今回の展示を通底するトニカとなって鳴
り響いている。
私が原稿用紙と感じた会場構成は、きっとその自己史を語る生真面
目で真摯な作家姿勢の故なのかもしれない。

生きる事と表現の深い関係を文字と写真で烈しくも純粋に語った
稀有な個展として、この展示は長く記憶に残るだろう。

 今、ポケットには、ウオークマンの代わりにカメラが入っている。
 音楽が頭の中で鳴っている。耳はもう塞いでいない。

     (アキタヒデキ「こころ」所収<札幌>最終章から)

*及川恒平・山田航「二本のポプラをめぐる二つのうた」
 5月16日(土)午後5時~予約2500円

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-04-29 14:39 | Comments(0)


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