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テンポラリー通信

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2015年 04月 15日

過剰なるー斜道(7)

過剰という事は、時に枠を越えるエネルギーの事だ。
そのエネルギーは時に新たな表現領域、新たな展開の突破口
ともなる。
ぎっしりと詰め込まれたアキタヒデキのフライヤーを見ながら
文字と写真の紙面の濃さにあらためてそう思う。
過剰なのは作家ばかりではない。
フライヤーを広げて大きく白抜きされた文字で目に飛び込む
山田航の一文もまた過剰なものだ。
わずか15行の短文中、<泣きたくなる写真>というフレーズ
が二度、<目頭が熱くなってくる>が一度と、同じ意味の言葉
が3度も繰り返して使われる。
しかしその事が少しも山田の素直な写真作品評価を妨げはせず、
むしろ感動のリフレーンとなって小波のようにこちらに伝わってくる。
作品が受け手をも過剰にしているのだ。
作者だけではない。
作品を媒介にして見る者・受け手もまた過剰になるのである。
山田航は写真の領域の人ではない。
短歌の世界の人である。
ジャンルを超えたふたりの過剰なる人は、ここで写真という作品
を媒介にして、ともに過剰なる情念で共震しているのだ。
第一このフライヤーは通常の案内の枠を超えて作られている。
これはアキタヒデキの写真と文章を凝縮した作品集のような小冊子
でもあるからだ。
過剰なる抒情は過剰なる叙情の同志を呼び、言葉と写真のジャンル
を超える。
アキタヒデキが写真の内側でどう悩み足掻こうと、もう作品自体が
ジャンルを超え、作品に触れた他者の過剰なる波にも似た言葉を
弾きだしているのは紛れも無い事実だ。
純粋な過剰こそ純粋な創造の友ともなる。

展覧会すべてが始まる前から、このアキタのフライヤーだけで熱く
語りたくなる私もまた過剰なる者である。
恥ずかしながら、許されよ・・。


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-04-15 12:40 | Comments(0)


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