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テンポラリー通信

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2015年 03月 24日

初日ー歩行(21)

高向彩子書画展初日。
あいにくの冷たい氷雨。
寒の戻りで凍える。

会場正面に切り身の蛸の絵画が3枚ある。
その手前に自ら制作した台が二つあり、その上に海老と鮭の
切り身の絵画が置かれている。
左北壁正面には中国後漢の時代の道開拓の記念石碑の文字
拓本を書き写した大作が展示されている。
その対面北壁に5本の掛け軸に5種類の臨書の文字が並ん
でいる。
吹き抜け2階壁には同じ紅い花の写真が9葉3段組で飾られ、
もう一方の壁はそれぞれが違う13種の花の写真が吊られて
いる。
さらに2階正面には下と同じ2枚の鉛筆画の魚の切り身の絵画
が、吹き抜けの下からも見える位置に飾られている。

良く出来た会場構成だ。
今の高向さんの心象がすべて出ていると思う。
紅い花は特に彼女自身の熱い心の反映なのだろう。
そして切り身と漢書の石碑の文字は、遠い時代を超えて感じる
人間の息遣いへの共感そして切り身の絵画は透明なラップの向
こうに在る生命への凝視であろうか。
共通するのは生命を遮断・分類する現実を超えて命を凝視し
分離する境を透視しようとする強い眼差しである。
書道・絵画・写真といったジャンルもすべては自分という心の
表現の一手段でしかない。
書を通し鉛筆画を通し写真を通し会場構成を通して浮かび上が
るのは、高向彩子の現在であり、如何なる方向への逃避でもない。
中国古代の書を通して時の向こうに逃避する訳でない。
花の写真で花の持つ美しさに身を預ける訳でもない。
ラップされ切り身とされた魚介類の現実に、その透明な分断の
向こうに身体の命を凝視する。
時代やジャンルで分別・分断される現実を自分自身の感受する
現実として再創造、再構成する、それが作者の意思であり表現
なのだ。
今回の展示はそうした作者の思いが全開している個展である。
この先にどんな選択があり、どういう表現手段を選んでいくかは
分からないが、今した事は大きな強い足場となるだろう。

ジャンルでも、時代の違いでも、生物の分類でもなく、輝く生命
が在る事。
そこを見詰めて表現する高向彩子がいるという事は確かだ。

*高向彩子書画展ー3月24日(火)-4月5日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-03-24 12:22 | Comments(0)


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