ニューヨーク滞在中の竹本氏からメールが届く。
先月ニューヨークから帰国中だった美術家の中岡りえさんと
連絡取りたいという。
しかしまだ中岡さんは日本にいて、行き違いだ。
その旨返事する。
中岡さんは初対面の竹本さんの写真作品を評価し色々とニュ
ーヨークの画廊事情を教えてくれていたのだ。
その時はまだ竹本氏のニューヨーク出発は決まっていなか
ったのか、こんなに早く実現するとは思ってもいなかったの
ろう。今ふたりがニューヨークですれ違いとは残念。
同行の写真家藤倉翼氏がニューヨークのネオンをフェース
ブックに載せている。
日本各地のネオンサイン看板を撮り続けている藤倉氏。
4,5年前ここで最初のネオンサインの写真展を開いている。
今はLEDに切り替わってパターン化しているが、かっては
一本一本職人の手で設置されたネオン管は、独特の風情を街
の風景に与えてきた。
その広告媒体として見過ごされてきた夜の光の看板を真正面
から撮影し記録し続けてきたのが藤倉翼氏だ。
個展初日、同じ写真家の仕事をしてきた父上と、作品を巡って
論争をしていたのを思い出す。
スポンサーのあるいは商品名の入ったネオンサイン。
そんなものを撮ってお金が入る訳でもないのに何なんだ。
という父上に翼氏はコマーシアルな観点ではなく、時代と場所
を顕す作品としてネオンサインを撮るのだと反論していたと思う。
その彼がこのネオンの写真で幾つかの賞をとり、様々な展示方法
も工夫して最近は大きくブレークしつつある。
そんな中でのニューヨーク訪問。
ネオンの本場アメリカでまた大きく前進する事だろう。
小さな芽が劇的に大きくなって変貌する。
そんな作家の成長が土壌としてのギヤラリーの密かな喜びである。
昨夕北海道新聞夕刊に私が谷口顕一郎地下広場設置作品について
書いたエッセイが載った。
奥さんの彩さんが書いたシベリア旅行記を下敷きにして、亀裂と
継続をテーマに彼ら二人の欧州行を辿ったのだ。
空路ではなく陸路の道を選び札幌を発って稚内からサハリン、そ
してシベリア大陸横断しドイツへ。
この陸続きの旅で得た継続と持続ふたりの経験こそが今を支えて
いる。そんなエールを込めて書いた。
サハリン経由を強く薦めたのは私で、それに応えて実践したのは
ふたりである。
この小さな芽・選択こそがその後の成長を促す。
それが土壌として、カルチベート(足元を耕す・・)の役割だ。
変わって去ってゆく者もいれば、変わらず会える者もいる。
さらにまた新たに小さな芽を孕んで出会う人もいる。
それぞれに違いはあっても、私自身は何も変わらず、ひたすら
土を捏ね札幌の深部を見詰める。
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