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テンポラリー通信

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2015年 03月 01日

若い友人の眼ー歩行(3)

山田航さんが現代詩手帖3月号に昨年末から今年1月に展示
した吉増剛造展評を書いている。
その文章の半分以上が私の事と私と吉増さんの交友の考察
に当てられている。
<インターローカルのために>と題されこの言葉がふたりの
キーワードとして論じている。
しかしまあ、知らぬ間にこの若い友人は良くみているなあ、と
いうのが偽らざる正直な感想である。
僅か数年にも満たない付き合いだが、私や吉増さんの深部を
その鋭い眼差しは、しかっと見抜いてもいる。
何故吉増剛造が毎年年末年始にかけて札幌の場末画廊で個展
を開いているのか。
その訳を私自身の生き方の深部・札幌と吉増さんの表現の底
に在る横田基地の存在とを日本近代の中のアメリカという位相
を重ねてふたりの奥多摩・北海道という地方視座を<インター
ローカル>軸の共有として論じているのだ。
私の都市論の基底にあるのは自身の体験・経験に基づく札幌
論であり、そこを通底するものは実のアメリカと入国した近代
特に戦後日本のアメリカである。
政治上のアメリカというより、文化の影響としての虚・実の
アメリカだ。
北海道自体が日本の中のアメリカあるいは欧州のように位置
され、それ故のモダニズムも新天地としての近代日本の夢を
育む要素が潜んでいる。
帝国主義の側面がアメリカにあるように、北海道も道都札幌
もそうした日本国内植民地の要素もある。
しかしそれだけがアメリカも北海道と札幌も全てではない。
アメリカに寄せた多くの移住者の夢の位相、北海道に寄せた
日本の夢の位相。
そこに虚と実の思想・文化の問題が横たわっている。
その問題は占領・被占領といった政治国家の問題ではなく
生活上の実の問題として見詰めていかねばならない。
遠い歴史を振り返れば、いつも人類はそういした占領・被占領
を繰り返し、文化を創造してきたからだ。
国宝の仏像たちがその証人である。
弥勒菩薩は朝鮮半島の半跏思惟像の日本的純粋化だからである。
政治や経済とともに文化もまた流入してくる。
そしてそれがそこ独自の変化・深化を遂げる。
明治から百有余年。
日本も北海道ももう近代から脱して、沁入した外のアメリカを
内なるアメリカとして再生・基底としなければならない時と思う。


 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2015-03-01 16:53 | Comments(0)


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