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テンポラリー通信

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2015年 02月 27日

医者と弁護士ー歩行(2)

都心や街中よりも少し外れた場所にいわゆる町医者的な
魅力的な医者がいる。
それを最初に感じたのは、今でも時々通う歯医者さんである。
そして初めてぎっくり腰になった時隣の喫茶店のマスターが
教えてくれた整骨医である。
どちらも円山北町時代の事だ。
この整骨医院は大きな木のある一軒家で、患者が沢山詰め掛
けていた。
待合室にいると多くのよたよやと歩いて診察室に入った患者
が、ぎやぁーと声を出しているのが聞こえる。
そしてその後スタスタと滑らかに歩きレントゲン室へ向かう。
自分の番が来て恐る恐る診察室へ入ると、古武士のような鋭い
痩せた初老の先生がいる。
先客の患者の女性が腰に沢山貼った貼り薬を剥がされている。
”なんでもべたべた貼ればいいもんじゃないよ”
そして俯きに寝かせ逆えび固めのように、ヤッと足を起こす。
途端に女性がギャ~あと声をあげた。
その後はけろりとして起き上がりレントゲン室へ向かう。
ずれた骨を元に戻す荒業である。
私も同様の手口でけろりと直ってしまった。
看護婦さんは娘さんで美人だが、化粧気のない鋭い顔で愛想
も無く先生とそっくりだった。
患部をいたずらに長引かせず、即対処する武断的な治療は儲け
本位の医者には見られないタイプだ。
大組織の病院にも手続きが重んじられて、いないだろう。
この荒業治療はぎっくり腰の質にもよるが、症状が起きて直ぐの
方が効果的だと後で聞いた。
ずれたから元に戻す。
誠に単純にして明解な治療である。
この医院も今は無く、医院の傍に立っていた巨樹だけが残って
いる。
この近くのH内科も町医者を自認し本も出している先生だった。
ここもいつも満員で多くの患者に慕われている先生だった。
この先生の診断で腎臓専門治療の必要性から今の病院長へ紹介
文を渡された。
それを1年以上もほったらかし、H医院へ2カ月一度通っていた
私にほとほと困りながら診察を続けてくれた。
内心は困惑していたと思う。
そのH内科も昨年閉院している。
昨年夏最後に会った時の首を傾げてこちらを見た時の表情が今で
も申し訳なく忘れられない。
円山北町時代の前は都心にいて、其処であった医者にはあまり個
性的な印象が無い。
遊び上手でスマートな記憶しか残っていない。
ビルのテナントだった医者が多く、経済人・都会人の印象が強い。

この時代は医者よりも弁護士との付き合いが多かった。
訴訟事件が多かった所為である。
悪徳弁護士、左翼系喧嘩弁護士はじめ色んなタイプの人がいた。
弁護士と医者は選ばねばならぬ。
そんな言葉を聞いたのもこの時だった。
共有ビルで権利者同士の争いに最初に就いた弁護士が悪徳系で
この時の訴訟の相手方の弁護士が優れていた。
そう思った私は後にこの相手方の弁護士を私達の顧問に迎えて
従来の弁護士を切ったのである。
この先生は話し合い型の苦労人で、以後無駄な訴訟沙汰は皆無
に近くなった。
弁護士は訴訟あってなんぼの世界である。
訴訟が多くなればそれだけ報酬も増えるのだ。
悪徳弁護士はそこに乗ずるのだ。
最初の弁護士は後に依頼者のお金を使い込み罰せられ消えた。
ある時期裁判所に行くと知り合いの弁護士数人に声をかけられ
る程弁護士通になっていた。
そんな環境に嫌気が差して円山へ移転した。
最後は弁護士に払う金もなく自分で法廷に立つ事で、私の弁護
士との付き合いは終わる。
円山時代たった一つの訴訟が立ち退き裁判だった。

ともに先生と呼ばれる職業の医者と弁護士。
どちらもが身体の生命と社会的生命に深く関わる職業である。
人生前半20代からは弁護士と、人生後半は医者と巡り合いその
様々な個性を見ている。
困難な時程人が良く見える。
医者と弁護士は選ばばならぬ。
そんな言葉が良く解るのは果たして幸せな事かどうかは判らない。
人生も後半に来て社会的生命から身体的生命の方に比重がある
のだろう。
どちらも最前線で出会った戦士であり、友情に近いものを感じた
話なのだ。

 振り返れば最前列で最後尾 背後には黒々と街の灯


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by kakiten | 2015-02-27 14:12 | Comments(0)


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