猛吹雪でJRも不通。
そんな中ちらりほらりと人が来る。
人が絶えた午後正面のガラス戸に映るガラスの房が綺麗だ。
早速大介さんが激写する。
内部の温度でガラスが少し曇り、そこに内側のガラスの房の
束が映っている。
午後の光がちょうどあたり幻想的な光景を生んでいる。
包み込むような虚と実の二重画像だ。
地面からの雪の光の照り返しと西日の光が不思議な映像を
浮かばせている。
夢中で撮影する高臣大介さんにガラス作家である事の幸せ
を感じていた。
ガラス作家で良かったね、と声に出すと黙って頷いていた。
そして来年のテーマが浮かんだよ、と言った。
「つつまれる」だという。
変わるかもしれないけど、いずれそうしたテーマで展示を
したいという。
200本がさらに増えて300本となり、400本となる。
そうした中で主題が深まってゆく。
そしてこの作品のきっかけとなった静華亭庭での「野傍の泉池」
についても語りだした。
泉の湧く水の温度はほとんど年中変わらない。
しかし外気は夏・冬と温度は変わる。
それによって水温は冬暖かく夏は冷涼に感じる。
その泉に移住してきた自分と同じようなものを感じると。
移動・移住・移民と考えていた自分は、なるほどと思った。
<移る>はそれぞれの軸心を深めて変わる<移る>なのだ。
動く事を決意した後の<移る>。
住む事を続けた後の<移る>
地域と繋がりを広げた後の<移る>
同じ<移る>でもその行為を支える軸が違うのである。
同時に場所は変わっても変わらず湧き出しつづける自分がいる。
そんな泉の水と同じ信念を環境の違いとの比較で語ろうと
しているだろう事を感じていたのだ。
展示の作品数やテーマの変化の<移る>の奥底に変わらず
泉の水のように高臣大介がいて、季節の移ろいのように外の
取り巻く環境は変わる。
その度に泉の外の水温のように感じる温度も<移る>のだ。
それが移住から移民へと軸心の<住>と<民>が深まってきた
大介さんの実感でもあるのだろう。
<移る>という現象はそれを支える動・住・民の軸心によって
その現象の表われを深化させている。
それが同じモチーフで展覧会を続けさせる力であるだろう。
千葉から洞爺という移動・移住の変化の中で高臣大介が掴んだ
変わらぬものと変わるものとの間を貫いている作家魂であるの
だろう。
この言葉を聴いて、ああ~大介さんも根を下ろしたなあと思っ
ていた。
変わらずあふれでて、変化してゆくのである。
*高臣大介ガラス展「とめどなく」-1月20日(火)-25日(日)
am12時ーpm7時。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503