昨年末右手首を骨折して思う事がある。
利き腕が使えないと左手が主になる。
それまで意識しなかったが、右利きが重点のように
社会は構成されているらしい。
瓶の蓋の螺旋、ノブの回転に至るまで力の重点は右
の指先に力点がある。
添えられる左手の指先は補助し右指の力点をサポート
する。
これがないと右手は有効に力を集中出来ないのだ。
右手左手はあたかも男女のようである。
そして左手主体になってみると、左手から見える世界が
出てくる。
なんでもない事が、右手主体から左手の目線で見ると
少し違って見えるのだ。
右手優位の偏った世界が新鮮にも不道理にも見えてくる。
そしてそれぞれの役割分担が非常に大切な事が分かるのだ。
掌で石鹸の泡を立てようとしても、右手の力を支える左手
の掌が無ければ泡は立たない。
利き腕を支える左手だけになった時、右手の存在の弱さも
左手の見えなかった役割も意識させてくれるのだ。
傷ついて分かる真理もある。
左手が主になると世界は随分新鮮に見える事がある。
社会構造は右手優位の差別構造が多いが、触れる世界はより
公平で新鮮で珍しい。
病や負傷も時に、世界とのチャンネルを変えて不便を豊かに
してくれるなあ。
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