札幌国際芸術祭の500m美術館展示が終り、搬出の車に
乗って中嶋さんが来た。
昨日一日疲れと怒りで相当落ち込んだようだ。
奥さんからのメールでその事が分かる。
山田航さんが菓子を持って来てくれたので、珈琲を淹れる。
それで少し気が紛れたのか、ぽつりぽつりと一昨日の話を
する。
破損した部分は抜いて、補修に手を加え改めて展示をする
と少し気を取り直してきた。
12冊の1冊が抜けるのは展示上も良くないのだ。
12点揃って意味がある。
そしてK氏の悪戯という無意識の悪意の一葉以外には他の
多くの人のサインが記されているからである。
これはこれで活かしましょう、と話す。
それから気を取り直したのか、少し明るい表情となって、
同じ日に来たT氏のお嬢さんYちゃんが、展示を見た帰り
に画材屋さんに寄って黒い紙と鉛筆を買った話をする。
黒の紙で製本された2冊の冊子は、鉛筆で記載するように
展示されていて、その事がきっと新鮮な感じがしたのだろう
、同じ物を帰りに購入したというのだ。
中学2年生の少女の純粋な好奇心が、中嶋さんの心に笑顔の
光を差し込んでくれた。
小学校の卒業文集に将来の夢として「小さな美術館」で個展を
する事が夢と書いてくれたYちゃんの嬉しいサポートである。
札幌国際芸術祭も終わり、何十万人も人が入ったとか話題に
なっているが、そういう動員数だけに本質がある訳ではない。
一つ一つの作品主題がどこまで深まって届いているか、という
本当の意味での総括こそが大切である。
札幌という純粋近代の試行の地を真に見詰め再生していく、
その試みはそう簡単に数字上の動員数に置き換えられるもの
ではない。
今回の作品破損事件のように、小さな悪意・小さな善意の存在
こそが深いところで作家の創造精神に触れ合うものなのだ。
そうした個々の触れ合う現場をどれ程保てたかどうかが、展示
の意味を深化させる。
その本質を抜きに量的な比較は本来意味を成さないものだ。
深く傷つき、そこからまた立ち上がる事で、個展の深度はさら
なる存在感を保って第二週へと向かう。
*中嶋幸治展「風とは」-10月5日(日)まで。
am11時ーpm7時。
*メタ佐藤写真展「光景」-10月7日ー10日。
*秋元さなえ展「橋を渡って」-10月28日ー11月9日
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
te;/fax011-737-5503