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2014年 09月 03日

発熱するー境界・長月(1)

時計台の2階の窓から見た外界が素敵だった。
同じ場所でも向かいの市庁舎の高層ビル内から見た空とは
違うのだ。
窓の外の庇や木々の緑が空を変えている。
この相違を<近代と現代>と<and>で並列的に客観視
はしたくない。
窓から入る光が室内を満たし、柔らかな時間を刻んで発熱
していたから。
<and>では繋げない境目の深い息を呑むような凝縮す
る世界があったから。
並列的に無責任に客観視出来得ないものが胸の奥に湧いて
いた。
<と>という並列ではなく、VSのような軸足の一方への
思いが濃くなって、もう一方を見据えている。
例えば<戦争と平和>とか<男と女>とか<都市と自然>とか
並列的に見るのではなく、一方に深く棹差して対象を見る事
との相違である。

日曜日久しぶりに街中を歩いて感じたのは、この<and>の
ような並列的無責任・非主体性が街を通巻している事だ。
高層ビルに赤煉瓦庁舎、地下歩行空間に北3条広場、時計台に
市庁舎、JRタワーに札幌駅と性格の違うふたつのものが並列
的に共存してある事だ。
二つの存在の相違の間に発熱する相克が見えない。
高層ビル群の摩天楼にはそこを非人間的空間と断じる過程が
あって、ヒューマンスケールを地上2階までとするショッピング
センターを新たに郊外に創る相克要因が在ったのだ。
それは<and>では結ばれぬ一方への断念・決意による展開
である。
その発熱する相克がなく、すべてを結果現象として<and>で
並列的に受け入れる一見客観的な現象は、本当は無責任な非主体
性の証しではないだろうか。
他の概念で<and>を考えてみれば、それが明らかとなる。
当事者の相克・葛藤が並列では消去されるからである。
一方に加担し思い入れて変化してゆく過程という通りが見えない。
<戦争と平和><男と女><都市と自然><摩天楼とプラザ>
これら個々の概念には本来発熱する境目があるからである。

*中嶋幸治展「風とは」-9月23日(火)ー10月5日(日)
 am11時ーpm7時;月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-09-03 13:13 | Comments(0)


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