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2014年 08月 26日

山の畑ーポプラー・葉月(14)

写真家のY君が畑で収穫した野菜を私の留守中玄関に届け
て置いてくれた。
留寿都のK氏も時々黙って玄関に届けてくれる。
ふたりの心優しい友人たちのおかげで、最近は新鮮な野菜
を調理し食する事が多くなった。
そのY君からのメールに山の畑に熊が出て玉蜀黍がみんな
きれいに食べられたという。
山といっても盤渓という中央区の住宅地に近い山地である。
車時代になり急速に開けた高級住宅街に近く、自然豊かな
場所なのだ。
広島の土砂災害の多かった地域にも似た川と山の迫る処で
もある。
水・空気・光という生命を囲む透明な三大有機体が最近は
洪水・台風・猛暑と自然の猛威の牙を剥きだして災害を多発
してきている。
それに熊という動物の野生も加わってきた感があるのだ。
人間が自然と直に向き合うという事は本来非常に大きな危険
と向き合う事と同義である。
従って人は長い時間をかけてその中間に緩衝地帯を創造して
きたと思う。
それを広く捉えて人間社会と自然世界の間のような空間を故郷
と呼んだのだろうと思う。
里山や防風雪林・小さな川や小さな庭の木に至るまで、人に優
しい人の為の亜自然帯を文化として創ってきた。
自然をその野生から人に親しい存在として囲い込んできたのだ。
あたかも野生の漆が漆塗りとして手元に優しくなるように、狼
のような野生が愛犬として人の生活の一部になるように、人は
自然と直で生に向き合う事を逃れる術を蓄積してきたのだ。
その自然への畏怖と知恵を今捨てて、諸に自然の野生と向き合
う愚を重ねようとしている気がする。
日常から自然への畏怖の回路が消えて傲慢な力の破壊が文明の
名の下で山野・海・空に及ぶ。
その破壊の何倍返しかが、最近の自然災害として顕れているよう
な気がするのだ。
自然化した人間社会・自然と人間の緩衝地帯としてのそれぞれ
の国の故郷の喪失がその象徴・証でもある。

*中嶋幸治展「風とは」-9月23日ー10月5日

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2014-08-26 13:35 | Comments(0)


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