13日平岸霊園の墓地に行く。
1年ぶりの墓参。
雑草が生えている。
ふっと8年前を思い出す。
暑い日だった。
思えば初めてひとりで墓参に来た日だった。
帰路精進川の川沿いの道を初めて歩いた。
月寒丘陵を下り豊平川へと合流する。
連れがいないので気侭に歩いて円山に戻った。
そこで告げられたのは村岸の遭難死の報だった。
友人達がテンポラリーに心配して集まっているという。
急ぎ駆け付けるとOさんが涙を流して立ち尽くしていた。
若い友人村岸宏昭が四国の鏡川で遭難死して8年が経つ。
その村岸の高校時の先生が斉藤周さんで、その展示が終わった
ばかりという事も、彼を思い出すきっかけかも知れない。
斉藤周展最終日、ふっと集まってきた数人の友人たちと打ち上げ
の乾杯をした後村岸の遺作をアレンジした有山睦さんの演奏を
そっと会場に流していたのだ。
斉藤さんと私以外は村岸を知らない人がほとんどである。
死後出版された遺作追悼集の本で彼を知った人がほとんどだった。
有山さんたちの演奏も彼の遺した楽譜からアレンジし演奏した
ものである。
22歳の若さで死んだ村岸は、作曲した楽譜と演奏そして空間構成
の展示の記録を我々に遺してくれた。
その記憶が未知の人の心にも響いて彼は今も存在している。
今年もひとりで墓参をしながら、父・母・妻・祖父・祖母他先祖
代々の刻まれた名前を見ながら、懐かしい友人たちや敬愛した先輩
たちを思い出して手を合わせていたのだ。
かって在ったお盆の豪華なお供え物はもう何も無くて、人の数だけ
は年々増えてきた気がする。
祖父が生きていた頃はお盆提灯が飾られ、仏壇の前には沢山の供物
が供えられていた。
そして従兄弟が何人も来てはしゃぎ回り賑やかだった。
追悼する人の名前も知らずただただ人と物に溢れた時が流れていた。
今人も物も無くて、亡くなった人の名前だけが増えている。
ひとり墓参の最初が8年前のムラギシの死の時だった事に今回初めて
気づき、自分の過し方のこの8年を想うのだ。。
*及川恒平×山田航ライブ「声」-8月16日午後5時~
2500円。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503