多くの現役高校生や卒業生、美術関係者、友人等で賑わっている。
そんな中、最近の高校生気質も窺がわれて興味深い。
ここは築70年近い古民家の1、2階の床を抜き、吹きぬけにし
て一体化し会場としいる。
吹き抜けの床は頑丈な梁が張り巡らされているので、回廊の
ように吹き抜けの周囲を巡る事ができるのだ。
ただ床の吹き抜けは下が透けて見えるので、怖がる人も多い。
小さな子供は梯子で登り、奥の階段で下に降りるという動作を
面白がって何度も繰り返すようになるが、ある年齢層からはそう
した冒険心より別の感情を出す事になる。
曰く、怖い、恥ずかしい、危険といった反応である。
高校生くらいになるとそれがもろに出て、あるグループなどは
”ここに保険は掛けてあるの?”などと声高に叫んでいた。
”怖い!”と叫びながらキャッキャと歩き回るならまだ可愛いが
保険などという言葉がでるところに現代の時代を感じるのだ。
この発言をした子は結構仲間内でもリーダー格という。
かって家には秘密めいた場所があり、屋根裏や特別な客間と
いった子供にはわくわくするようなスリルを味わえる場所が
あっったはずだ。
危険=保険などという発想などは存在すらしなかった。
<家>という概念が変わってきている。
それは同時に<住む>という行為の変化でもあるのだろう。
住居が単なる寝起きの空間にパックされて、<住>という縦の
地軸が漂流し移動を前提とした根無し草のようになって秘密の
わくわくするような闇・スリルの空間は明るい闇へと変わって
きているようだ。
生活費に百万円とマンシヨンの一室を与えられひとり暮らしの
女子高校生の友人虐殺事件の心の闇は、この明るい住居の保つ
見えない闇そのものと思えるのだ。
住まいから家屋の時を重ねた陰影・翳が消えて、隅々まで明瞭な
新建材のような住居パックが仮設の常態化のように遮断された
居室を構造している。
移動を前提とした移住空間。
豪華な仮設と遮断の日常体。
それを都会というのだろうか。
怖い~が保険で保障する生活に、本当の<住>はあるのか。
*斉藤周展「日々の形状」-8月1-日(日)まで。
am11時ーpm7時。
*及川恒平×山田航ライブ「声」-8月16日(土)午後5時~
2500円
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503
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