見えない川がどうの、さっぽろの地質がどうのとブログに記していると
地質学者か郷土史家みたいで、ある詩人に言われた。わたしは自分
の居場所も分からない。<魂の暗渠>よと。なるほどな~。でも詩的
ではあるけれど、私的に閉じてしまう。詩は詩でも<志>として開くのも
詩ではないだろうか。立場がそれぞれだから、チャンネルの違いという事
と思います。
今日午前11時執行官来る。正式に強制執行告知書渡される。
明年1月29日まで明渡しの文意である。
とうとう本当に期限が決まった。
私的に閉じてはいられない。開かなくては!
それが私の立場です。閉じる事は自死を意味する。
死は<死に場所を探す>という、<生>の場所を意味するのだ。
もうひとう<死>の話。-死に目に会うーという。親しい家族
を主にいう言葉と思う。じゃあ<生き目に会う>と思う。いい仕事
困難な仕事をやり遂げた時その人間の<生き目>に我々は
立ち会う。このブログで取り上げた及川恒平さん、ドイツのケン、
ガラスの大介きっと彼らの仕事は、ここの場所ギヤラリーで
いい仕事をし、その生き目に僕らは立ち会ったのだ。そう思う。
私が<志>を想いここで敗北しながらもなお自らの生き目を
見せる為に閉じようとしないのは、その謂だ。
今日は白い闇のように雪が間断なく降っている。
細かい雪、視界が閉じている。
白い暗渠かな。