定休日の昨日、友人達と明治の治水学者岡崎文吉の遺した
コンクリートブロックを見に行く。
川の自然な蛇行を生かし敷き詰められた岡崎式自然主義
工法の護岸遺跡は、アメリカを除きここにしか残っていな
いのだ。
アメリカ・ミシシピー川では今も延々と建設されている
らしいが、それはさらなる改良を加えられ、オリジナル
なものは最初の施設地である石狩河口にしかないのである。
場所は運河が造られショートカットされた旧石狩河口の
茨戸である。
茨戸ーパらト(アイヌ語で広い沼、海)を意味する場所。
札幌の川のすべてがここで石狩川と合流した場所である。
かってここから内陸へと入植した移住者の上陸地点にも
程近い地だ。
バブルの頃競艇場や飛行場を目論み、それを目当てに拓銀
がホテルリゾートに過剰融資を重ね倒産、行政は札幌の東北
部開発で道路拡幅を茨戸まで整備し、文化事業では創成川ル
ネッサンス運動を展開した場所でもある。
今はパークゴルフ場が広がって、その近現代の夢の跡の残る
土堤に水草と時の経過を示す欠けた岡崎式ブロックが規則
正しくひっそりと波に洗われて敷き詰められていた。
思ったよりも小さな長方形の単礁コンクリートブロックだ。
岡崎文吉の時代とは川の環境も風景も大きく変化してこの
地はあるのだろうが、百年近い歳月を経て今も岸辺を守り
川と一体となってその護岸の跡は水と会話しているようだ
った。
そこからさらに遡ってこの工事の竣工記念碑を探した。
風の透き通るような野原の続く一角にそれはひっそりと建っ
ていた。
川岸のコンクリートブロックと同じ形に敷かれた台座の上に
岡崎文吉の名が刻まれていた。
かってはこの辺まで石狩川が迫っていたのだろう。
途中の農家の一角にコンクリートブロックがまるで薪のよう
に無造作に積んで放置されていた。
岡崎が満州へ去った後川のショートカットが急速に進み、川
は短くなり乾燥地が増え、かっての岸にあったブロックは打ち
捨てられて陸に上がったのだろう。
帰路茨戸街道にある龍雲寺のかって境内にあった大銀杏の樹
を見て帰る。
茨戸へ向かう道路拡幅事業で境内から道路脇に追い出された
樹齢百余年の銀杏の大木である。
その直ぐ傍をどぶ川のように細く寂れた琴似川が伏古川との
合流地点となって消えている。
札幌の扇状地を形成した三大河川の寂しい末路である。
岡崎文吉の自然工法が川の蛇行を基本として考えられ、結局
は誰にも認められず近年になってようやく再評価が進んできた。
しかし未だ3・11の後も国土強靭化計画などと時代は変わら
ずショートトカットの直線化の効率重視の思想は続いている。
茨戸を後に都心へと向かいながら、ふっと浮かんだ言葉。
振り返れば最前列で最後尾 背後には黒々と街の灯
*佐佐木方斎展ー6月3日(火)-15日(日)まで。
am11時ーpm7時;月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel.fax011-737-5503