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テンポラリー通信

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2014年 05月 03日

木田金次郎第一回個展の頃ー陽炎・皐月(3)

1953年(昭和28年)の11月開かれた木田金次郎初の
大規模個展は丸井今井百貨店6階催事場だったという。
丸井さんとさん付けで親しまれた地元の百貨店である。
またこの展示に協力し木田の作品のコレクターでもあった
北海道銀行初代頭取島本融もまた戦後地元の要請で新設さ
れたばかりの地方銀行の代表者だった。
そしてこの時東京から木田を慕い手伝ったなかがわつかさ
は、この個展をきっかけに北海道に移住し美術評論家として
北海道の美術界をリードしてゆく。
この岩内の画家を多くの人がその60歳にして最初の個展を
支え、同時にその磁場となったのが札幌のそれぞれの稼業の
主ともいえる人たちだったのである。
この時代街はまだ店主が主体の街で出先の支店経済の店長の
街ではなかったのだ。
高層ビル群に覆われ、テナント主体の出店構造にはまだ街は
改変されていない時代である。
この時代の木田金次郎を介在とした岩内と札幌の関係性は、
今の泊原子力発電所を介在させた岩内ー札幌の関係性より
余程熱く心が通っている。
人の顔が見えるからである。
その後なかがわつかさが昭和30年代の美術界を席巻しなか
がわ旋風を残し早世する。
そして昭和40年代に入り札幌は冬季五輪に向けて大規模な
都市改造に入りこの岩内・木田を結んだ札幌シティゾーンは
上げ底のテナント支店経済のパック空間へと変質し、店主の
街ではなくなるのだ。
物流を主とする地上9階地下2階地下通路と地下街地下鉄の
縦横に走る空間となって、今がある。
大通りから南の札幌シティとタウンの市民文化の風土は、
地元という泉を喪い外から常に注入される需要と供給のパッ
ク構造となって消費流通が主体の物流基地となっていく。
従って岩内圏と札幌圏を結ぶ回路は、泊の電力による一方的
な需要と供給の関係でしかない。
どちらの関係が文化として豊かであったか。
その事を我々は今問われてもいると思う。

*八木保次・伸子追悼展ー5月11日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2014-05-03 12:31 | Comments(0)


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