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テンポラリー通信

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2014年 05月 01日

札幌モダニズムー陽炎・皐月(1)

こうして3年目の八木保次・伸子さんの事を思い出して
いると、札幌のある時代までの都市文化を思うのだ。
保次さんに見られた伊達、伸子さんに見られた品位。
これらは別の言い方をすれば保次さんの内なる札幌タウン
でもあり、伸子さんの内なる札幌シティともいえる。
札幌という都市は南北を横切る大通り公園から北に道庁を
中心とする官の街が旧国鉄、旧帝国大学も含めて広がり、
その南側には薄野遊郭と商店街が広がる民の蓄積する地域
とに分かれている。
保次さんや伸子さんの生まれ育ったゾ-ンはこの南側の民
のゾーンに属し、そこに民の文化・タウンとシティのがあっ
たと思える。
当初火防線として広く開かれた大通りを境にして北側には
中央直結の行政官庁とその宿舎が集中し、その南側には商
を中心とする民の繁華街が形成されていた。
この構造の中で南側に独自の民の文化が土壌として生育し
ていたと今思うのである。
多くの老舗が独自の専門分野の基底的役割を担っていたか
らである。
富貴堂、西林、一誠堂、林屋、大丸といったそれぞれの分野
の拠点としてこれらの店舗があったからだ。
この他にもそうした専門分野の名店がこれらの街を形成して
あったのだ。
それらはその後札幌冬季五輪を機に大きく市街地再開発の波に
飲み込まれ高層ビル街に上げ底されるまで続いていたと思う。
道路拡幅と同時に市電は撤去され地下鉄と地下街が建設され
高層化された地上のビル群とともに本州資本を主とするテナ
ントビルの上げ底空間となって、札幌固有のタウンとシティ
の文化は消えていったのである。
大通りの北側の官の中央統治構造が、大通り南の民の自主的
タウンとシティのモダニズムを駆逐し新たな商業資本主義の
中央集権構造に姿を変えて浸出してきたのである。
八木保次さんや伸子さんに見る伊達と品位は、この古い札幌が
生んだタウンとシティのモダニズムの粋とも思うのだ。
そして晩年のふたりが見詰めたものは、変わり果てたかっての
シティでもタウンでもなく、札幌という都市自体を生んだ取り
巻く自然、その本州には無い独自の自然の色彩だったと思う。

ご遺族のご好意で譲って頂いた表札は、正に八木家がタウン
から去り西方の山の連なる大自然の裾野に転居した時に飾ら
れていた家の表札である。
札幌の薄野タウンの精のような粋で美しい人であった敏さんと
ダンディなタウンボーイであった保次さん、そして品位ある
シティガールであった伸子さんという優れた札幌のモダニズム
を体現した3人の名前が彫り込まれた表札でもあるのだ。

昨日札幌国際芸術祭の大ポスターを背に札幌市長が新幹線早期
前倒し要請の記者会見をしていた。
また札幌冬季オリンピック招請の話も、東京に次いであるとも聞く。
かって札幌という民度が育てたモダニズム。
その小さな芽は優れた表現者の作品の中に今も残されている。
かってそれは風景としても存在し、黒澤明の札幌を背景とした映像
「白痴」や山田秀三の札幌の春楡賛歌の随筆などで偲ぶ事が出来る。
八木保次・伸子さんのモダニズムが晩年見つめた物は、そうした
札幌という都市を再度自然の側から見つめ直した純粋な色彩の
発見だったと私は今思うのだ。
色彩を通して札幌を再構築する試みであったと思える。

*八木保次・伸子追悼展ー5月11日(日)まで。
 am11jipm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 yrl/fax011-737-5503
  

by kakiten | 2014-05-01 14:07 | Comments(0)


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