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テンポラリー通信

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2014年 04月 11日

風景の根ー光陰・卯月(7)

4ヵ処の炭鉱を会場としたアートプロジェクトの
図録を頂いた。
2004年から2013年にかけて展示された記録
である。
それを見ながら1980年代から90年代にかけて夕張
を訪ねていた事を思い出していた。
その時の記憶では、廃墟はまだ生々しく生活の記憶が
遺稿物の隅々に根付いていた。
ただ呆然と立ち尽くし見守る、それだけしか自分には
為す術も無かった記憶がある。
今回送られてきたアートプロジェクトの写真を見ながら
同じ風景をそこに感じて、作品と思しき付加された物
を少しも美しいとは感じられなかった。
見捨てられ遺された風景の中に、そこで生き、働き、呼吸
した人間の痕跡が根毛のように根を下ろしている。
それが廃墟の隅々に張り巡らされていると感じるからだ。
その無言の張り裂けるような空間に外部から瘡蓋のような
余剰物は要らないのではないのか。
廃墟は廃墟のままで充分に雄弁である。

中でも三笠市の奔別炭鉱遺稿建築物に奔別の別を愛に変え
る大文字の展示に違和感を感じた。
奔別とはアイヌ語のポン・ペツからの当て字で、川を表す
意味である。
そのペツが別と表記されたものを、別れではなく愛と強引
に置き換えて奔愛としたのだろうが、この行為は風景の場
の記憶を全くないがしろにした乱入者の目線である。
地名の由来を無視し遺稿物の風景の記憶の根毛を汚している。
どんな小さな壁の傷痕ひとつにも、その場所に生きた者の
理由がある。
それらの記憶全体がこの産業遺稿物の風景を囲繞している。
その無言の声を聞く事こそが外部から来た人間の誠実な回路
の持ち方ではないのか。
奔別を奔愛などと言い換えて大文字で飾る感覚に、風景の
奥に潜むそこで生きた人達への根に触れるものは消えている。

キャッチコピーのような<奔愛>の大看板を掲げて、そこだけ
が都会のような明るい廃墟に見えたのは、果たして私だけの
思い過ごしだろうか。

都会に生きる人間の内なる明るい廃墟が焙り出される場所が
廃墟だったり被災地だったりする逆説ではないのか。

*八木保次・伸子追悼展ー4月22日(火)-5月11日(日)
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2014-04-11 14:40 | Comments(0)


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