厚いオーバーからバーバリーに着替えて歩く。
白く乾いた舗道と黒く汚れた泥濘の歩道。
枝道はでこぼこの凹み小路。
除雪された雪山は黒く削れて鬼の牙のように
そそり立っている。
街の雪解けは凍った道の滑り止め用に撒かれた
黒い砂が混じって、春というよりも冬の最後の
うめき声が聞こえるような風景だ。
野山の木々の根元から雪が解けて顔出す黒とは
違う色なのだ。
雪解けの下に生命の息吹が在ると無しで風景も
違ってくる。
野山の雪と都市の雪はその位置も違うのだ。
野山の雪は生命をその下に潜ませ、土に沁み込み
湧水ともなる。
しかし都会に降る雪は除雪の対象としかならぬ
邪魔なものである。
その差異が雪解けの風景にも表われているのだ。
都会では雪などの存在しない地下歩道やビル中が
主役の座を占める。
外の舗道もロードヒーテイングが施され、雪を消す。
しかし全ての舗道がそうである訳ではなく、買い物客
の多い人通りのあるビルの前だけがそうなのだ。
ロードヒーテイングはその設置されたビルが負担する
設備だからである。
従って道に差別が生まれ、凍てついた道と乾いた道が
人の出入りの差に応じて交互に続く事もある。
都市の価値観は物流の多寡である。
多い方が優遇されるのだ。
その差異の風景は、春が来ても一層際立ってくる。
真っ黒な道と白く乾いた舗道の顔をして。
そして雪のもともと見えない地下鉄に乗ると、乗降客の
多い駅の手前の車内アナウンスには必ず「みなさま地下鉄
ご乗車ありがとうございます」のメッセージが入るのだ。
これも客という利用数の多寡によるものと思われる。
私の下車する駅など危険物を見つけたら何とやらとか携帯
電話はサービスモードにせよとか注意のアナウンスばかり
である。
物流の多寡を第一とする都市構造と命を育む自然との差異は
産業経済の価値観と芸術文化の価値観の相違でもあるだろう。
それぞれの役割があって、一概に一方で一方を否定するもの
ではないが、対峙する事は必要である。
どちらの価値観も人間の環境の問題でもあるからだ。
都市と自然は本来相対するものである。
対峙して事こそ本質に繋がる磁場を生む。
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