建築家でかって「パルス」という雑誌の編集長をしていた
K氏が敬愛する友人のNに会いたいというので昨夕3人で
会った。
今使っているパソコンはK氏から譲り受けたもので、Nを
待つ間ゴミのクリーニングや機械の調整をお願いした。
やがてNが来て、こちらには水道管の水漏れを点検補修して
もらった。
ふたりとも優秀な手の人で私のような不器用な人種ではない。
さらにこのふたりは辛口の一言居士で世を憂い熱く語りだすと
もう止まらない情熱家でもある。
ここで軽く飲んでから近くの居酒屋ゆかりへと行く。
店主の宇田川さんにも入退院後しばらくお会いしていない。
Nは宇田川さんの入院も知らなかったようで、ご無沙汰を
詫びている。
石狩の人気の無い浜に独居して、最近はあまり札幌にも出て
来ないという。
もともと登山家で都会には縁遠い人である。
10年ほど前車の事故で大腿部骨折の重傷を負い登山から
遠のいた生活を余儀なく送っていた。
お酒が入りふたりの辛口の時事批評も熱を帯びてヒートアップ
する。
そんな熱い会話の終わり頃、ぽつりとNが俺結婚すると呟くよう
に言う。
昨年事故以来初めて定山渓天狗岳に登り、さらに道東の名山
トムラウシ山にも登ったという。
10年経って登山が再開できる身体に回復したのだ。
そしてその時同行してくれた人が一緒になる人という。
長く独身で一人気ままに生きてきたNが、晩い春を迎えている。
一色突破、Nの遅い春は何色なのだろうか。
一色突破・・遠い記憶の色が蘇る。
母親が亡くなり間もなく知らない新たな母と弟が家に入って孤独な
生活を送り暗く沈んでいたある人がいた。
その人の為に私は東京から毎日のように手紙を送って励まし続けた。
その人が東京のT美大に受かり、真っ直ぐに4畳半一間の私の下宿を
訪ねて来てくれた時の真っ赤なブレザーの色である。
その燃えるような赤を受け止めるには当時私はまだ若すぎたと今思う。
そして時を経て蘇るのは、あの時のあの赤い色なのだ。
あの時のあの赤をその後二度と見た記憶はない。
暗い北の春の地から初めてひとり上京し、新たな生活への希望に燃えた
一色突破の赤であったと思える。
人には人それぞれの一点突破の色がある。
Nの晩い春の色は山の雪の斜面を黒く染め、やがて梢に花開くあの白い
北コブシの色が良く似合う。
Nよ、晩い春おめでとう。
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