なにもする気にもなれず、一日過ぎる。
休廊日の月曜日。
ある人から札幌国際芸術祭シンポジュウムへのお誘い
もあったが、コンサートホールキタラの豪華なパイプ
オルガンを背にした坂本龍一をメインとする会場に
足を運ぶ気持ちにはならなかった。
市民参加の芸術祭という声を聞けば聞くほど、場との
遊離を感じるからだ。
東北楽天イーグルスが、東京読売ジアイアンツに勝つ。
ただの野球ゲームを超えた感動がある。
否、ゲームという虚構だからこそ純粋に感動するなにか
があるのだろう。
今年1年を象徴するかのような東北の勝利である。
前夜の160球完投し負けた田中投手の再度の登板
とその勝利は、まるで東北の半沢直樹ではないのか。
”やられたらやり返す”そして”今でしょ!”と今年
の流行語そのもののような場面だった。
この勝利の日が3・11を逆転した11・3という偶然も、
東京圏対東北圏の対峙という深層構造を反映していた
かに思える。
野球というゲームを超えた熱い何かが、あの東北の空
には在ったと思える。
この時ゲームはもう単なるゲームではなく、無償の無為
の精神性を保った純粋ななにかであったような気がする。
そしてこの時未だ癒されぬ現実の痛みを抱いているから
こそ、逆転・倍返しの情念結晶なのだ。
この現実を抜きにして、あの熱い時間の波及はない。
前日敗れた投手田中に東北の人が重ねて見たものは、傷つ
いてなお立ち向かう意志への共感であり、その上での勝利
という劇の純粋感動なのだ。
勝利はゲームであり、主役はあくまで傷ついている現実で
ある。
しかしそれがこの時逆転したのだ。
野球もまた文化なのだとこの時私は思った。
虚構が現実を超えたからである。
一時の夢にせよ、そう思える時間が熱く流れたのは間違い
ない事実である。
札幌で国際芸術祭を開く時、この東北に匹敵する必然性と
夢があるのかを自らも含めて問いたい。
文化芸術とは、現実との深いところの傷痕との対峙から生
まれる虚実の逆転の行為ではないのか。
あらためて自らの今生きている現場を考えるのである。
*吉田切羽写真展「on the road」-11月19日(火)
-12月1日(日)
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503