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テンポラリー通信

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2013年 09月 07日

私も自然の中の一部なんだー逍遥・長月(6)

来年の札幌国際芸術祭プレイヴェント札幌芸術史公開トーク
全10回のチラシが送られて来る。
駅前通り地下歩行空間で開催されるという。
一読して「都市と自然」という基本コンセプトは、「都市>自然」
の比重で構成されている事を感じる。
ほとんどが、「札幌の芸術文化史を知ろう!」というタイトル
に集約されるように、都市の方に比重が掛かっている。
それはそれとして徹底すれば、まだまだ不足している歴史がある。
ちょうど昨日DMを持って現れた10月から新作個展予定の佐佐木
方斎さんの「美術ノート」の活動や現代作家展のキューレート、
作品活動は、この公開トークの半分以上が資料として包含されて
いるのだが、その業績はどこにも触れられていない。
街づくりの面に比重があって、いわゆるアートで町おこしの要素が
濃厚に感じられ、自然への視座が街路樹程度にしか添えられていな
い気がする。
2004年に出版された今村はまなさんの遺作集のタイトルに倣え
ば「私もその自然の中の一部なんだ」という、対自然への視点・
視座がこの公開トーク全般に欠如しているのだ。

かって創成川ルネッサンス運動というのがあった。
札幌の東北部開発が基本にある運動で、経済界では旧拓銀が茨戸の
リゾート施設に資本投下して破綻の一因ともなり、政治はその茨戸へ
向けて最寄りのJR篠路駅前の道路拡幅事業を展開した。
そして文化面では明治の物流の輸送水路、直線の新川創成川に主眼を
置き創成川ルネッサンス運動として文化運動を展開したのである。
直線の人工的な新川をいくら崇めてみても、そこにルネッサンスなど
興りようもない事は自明の事である。
岡崎文吉が自然工法で川の自然蛇行を徹底的に研究し実行した人工に
対し自然に重点を置いた先達の知恵とは対極のショートカット工法が
主体の文化運動が創成川ルネッサンス運動だった。
この流れが今展開されている駅前通りを軸とする芸術祭にもある。
駅前通りも地下の駅前歩行空間もともに直線の人工空間である。
川に例えれば、これも直線の運河・物流空間なのだ。
従って歴史的に言えばバブル時代の残存、創成川ルネッサンス運動の
ネオ駅前通版ルネッサンス運動とでも見える産業経済軸を主体とする
アートイヴェントなのだ。
その本質はかっての創成川ルネッサンス運動と何も変わらない。

東北部の石狩河口へと繋がる真の道は物流の直線の川にはなく、旧札幌
川沿いに伸びる元村街道通称茨戸街道にこそ歴史も文化も埋もれている
のであって、その歴史があってこそ、ルネッサンスという言葉も活きて
くる。
あの時代東北部開発は新たな利権を生み、様々な歴史的建物、樹木、道
がその後改変されて失われていったのである。
それは今も続いて日本ハムファイターズ通りなどと舗道に大きくペイント
されこの本来の歴史的街道はその面影を見失っている。
一方創成川地区は奇妙に小奇麗になり、歴史的地区として整備されて最近
あるように見える。
かっての職人街である創成川の東地区は創世川イーストなどと呼ばれ、新
たな展開を見せている。
それらをすべて否定する気は毛頭ないが、歴史を語り文化を創造する
のなら、この本来の文化・自然を軽視した都市比重の大きい文化イヴェント
には本質的な部分で正当とは評価は出来ないのだ。

若くして難病を患い南の山の療養所で、沢山の自然を感じてその幸せを
遺書のように漫画にして遺した今村はまなさんの遺作のタイトルに象徴
されるように、人間もまた「その自然の一部なんだ」という視座を失く
して文化と歴史の前提となる視座は形成され得ないと私は思う。

国際芸術祭とは、オリンピックゲームとは本質的に別ものであり、
アートで町おこしとは結果論の成果至上主義であるといえる。

*収蔵品展「記憶と現在」-9月15日まで。am11時ーpm7時
 月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-09-07 13:54 | Comments(0)


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