昨日はAさん、Y君と大野一雄の石狩河口公演「石狩の鼻曲がり」の
ヴィデオを見ていたら、熊の木彫りを蒐集し作家や制作年代を系統立
て資料化している山里稔氏が来た。
その後網走の漁師で画家の佐々木恒雄氏からチルド冷凍の鮭が届いた。
大野一雄の晩年の願いは、父・祖父が働いていたオホーツクの海を渡り
カムチャッカの島で羆の踊りを実現する事だった。
舞踏を志した青年時代、時勢はそうした舞踏を許さない超国家主義の時代
であり、父の存在もそちらの価値観に属していたのだろう。
したがって大野一雄の舞踏活動は戦後になって初めてその国家の呪縛から
解放されて花開く。
しかしながらその舞踏の軸心には、母や戦友、そして舞踏を志す原点と
もなったアルヘンチーナへの思い等があっても父の存在が顕れる事は
なかったのである。
この海に近い石狩河口の公演を経て数年後初めて大野一雄は、父への思い
を語りだす。日本海の波風に直接触れる野外舞台を経験する事で、きっと
この時函館から日本海とオホーツクの海を越えて働いていた父の背中を大
野一雄は肌で感じ、国家に侵食されていた父の存在を復権させていたので
はないだろうか。
カムチャッカで熱く踊りたいと願った父への賛歌、追慕の舞踏は羆の踊り
だったのである。
大野一雄:これからこういう舞台を演るのです。(創作スケッチを
とりだして)カムチャッカのヒグマです。
・・・・・
家は船を三艘持っていて、カムチャッカで漁業をしていました。
・・・カムチャッカの漁業は、初めは非常に調子が良かったけれども、
そのうち世界恐慌が起こり、敗戦で樺太は取られ、あっちこっち返さ
なくてはならなくなりました。それまで長い歴史をもつ漁場が二ヶ所
ほどあったのですが、2,3年前に親戚の伯母さんからの手紙でそこ
がどこなのかを知ったのです。
ですから、カムチャッカのどこに行って踊りたいかはちゃんとわかって
いるのです。
・・・・
父が窓から見たヒグマというのは、漁師たちにとって内輪といいますか
、人間同士と同じように親しい関係なのです。
(大野一雄・吉増剛造対談「FRONT」1999年8月号初出)
この時語られたヒグマの舞踏とは、懐かしい父の働く背中そのものと思える。
父が国家に略奪されて精神(こころ)から喪失してきた時代。
その時代の延長に我々もまた生きている。
父は戦後不在であり、パパと化した生活インフラとして時に<父さん、元気
で留守が良い>と揶揄されつつ存在した。
精神的存在としては影が薄い存在なのだ。
一方母なる存在は過剰に重みを増して、寺山修司や三島由紀夫のように重く
深く戦後の精神に沈み込んである。
大野一雄が初めて口にした父への想いとは、同時代の深い処で深く勇気を与え
るなにものかであったと私は思う。
このカムチャッカ公演は病に倒れる事でついに実現はできなかったが、この対
話に残された生き生きと嬉しそうな大野一雄の表情を私は忘れることはない。
昨日偶然にも見た石狩の夕日と風と波の中で鮭の一生を踊る大野一雄の姿。
そして熊の木彫りを蒐集している友人の訪問。
さらにその後届いたオホーツクの海の鮭。
遠く冥界から大野先生の贈り物のように、時が流れて来た。
*常設展「記憶と現在」-9月15日(日)まで。am11時ーpm7時:
月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503