川は何故蛇行するのか。
その川の生理を徹底的に調べ、最低限の改良を川に加える。
その自然工法は遠くアメリカ南部の大河ミシシッピ川で花開いていた。
直進のショートカットを優先する当時の国家体制は、この工法を採らず
失意の中岡崎文吉は道庁を去ってゆく。
そして新たな開拓の拠点満州で新たな治水事業に13年間従事する事に
なる。
しかしその痕跡は現在何も残ってはいない。
そして日中戦争の激化とともに体調を崩し帰国し敗戦の年にその人生を
終える。
北海道や満州という新たな開拓・侵略の一環として治水という国家事業
があった時代である。
その中で純粋に水の流れを考え、自然とともに川を考えた岡崎文吉の
自然工法は国家体制の枠を超え、当時敵国であったアメリカでその理論
が正当に評価され実行されていたのだ。
超国家主義の下北海道や中国において開拓という名の植民地化を直進す
る国内体制においては、蛇行の自然理論よりも直進の直線構造が勝って
いたのである。
この社会の意識構造は体制こそ違え、今も変わらぬ意識であるかのよう
に思える。
入り口と出口を最短距離で結ぶ物流構造は、超国家主義の支配する権力
構造と同質の直線的なショートカットの暴力を保っている。
川は何故蛇行するのか。
その本質は人の生き方とも深く関わり、生と死の、呼気と吸気の、間の
世界を内包するものだ。
山から発して海に至る。
始まりと終わりはそれだけの事かもしれないが、その過程は千差万別で
多様性に満ちている。
人も同じように、生の始まりと死の終りの間の世界こそが、生きる価値
であり人生なのだ。
川も同じである。
ひとつの川の流れを徹底的に見詰め、石狩川の治水に努めた岡崎文吉の
理論とその工法は、この北の大自然と深く関わり生まれた人と自然の回路
に拠るものと思う。
この回路を生んだ哲学を等閑にして、今に繋がる近代と現代の病根がある。
かって里山と呼ばれたこの自然との回路がゾーンとして存在し、さらには
もっとささやかな庭木があり坪庭があり床の間の花木があった。
これらは愛樹とも呼び得る森と人間社会の回路でもあったと思う。
川にも水の神として龍神様の祠があって、これもまた小さな自然との回路
の象徴であったと思う。
それらの文化を哲学として受け継がず、効率性で切り捨てて発展してきた
のが、近代から現代に至るひとつの流れである。
川をショートカットし、森を伐採して世界の効率化を追及して今がある。
治水とは征服する事ではない。
治めるとは和らげる、乱れを直す事の意である。
猛烈な大自然に対し、和らげしずめ直す方途を言う。
原始林に対する里山も同じ山の原始に対する治林なのだ。
そうした<治癒>が<治療>が回路として喪失される時、川は蛇行を喪失
して直線化してゆく。
道も大地も人間も同じだなあ。
この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
これはきっと人間の歩行の蛇行だよ・・・。
+収蔵品展ー9月15日(日)まで。am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503