小樽文学館で展示中の「北原白秋の小樽・サハリン旅行」展を
見に行く。
大正14年8月に九州人北原白秋は小樽を経由して樺太を巡った。
その旅を通して「この道」という歌が生まれている。
南国の人白秋に北の大地はどのように映ったのか。
その事に興味があった。
展示は丁寧にこの旅の記憶を拾い上げていて、南と北の風土の
違いが生じる新鮮な発見の一端を伝えてくれる。
この時の白秋の著した紀行文「フレッド・トリップ」はまだ未読
だからなんともいえないけれど、私としては「この道」に表れた
札幌の空気をこの展示から感じてみたかったのだ。
九州とは異なるサハリン・北海道の風土の経験を通して、その違い
がより開かれた未知の発見として白秋の中できらり輝くものとして
歌に醸成されたと思えるからだ。
場所柄もあり、樺太以外は小樽に関する展示が主であり、札幌の展示
は「この道」を発表した初版本の展示のみに止まっていた。
実際にあまり札幌を歩いたという事実も無いようだから、「この道」
は、この旅で感受した北への憧憬がその母胎になっていたと思える。
展示の記述の中に「我は南国人なり」という一文があって、この事は
逆に南を強く意識しその違いを新鮮に感じていた事実を感じさせるの
である。
風土の違いが白秋の感受性の深いところで新鮮に揺れていたと思える。
違いが区別・差別として閉じる事無く、違いが新鮮に開くものとして
在ったことに、大正期の開かれた浪漫を同時に感じるのだ。
今は国家によって分断されているサハリンと北海道は本来は同一圏の
風土を有している。
幕末の古地図ではサハリンから津軽に及ぶ視点で地図が作成されている。
地名においてもほとんどがアイヌ語地名でいわゆる北方領土も含めて
同一の風土圏内である事が分かる。
九州が朝鮮半島や大陸に近い南の風土圏にあるとすれば、ここはシベリア
大陸に近い北の風土圏にある。
その相違を肌で感じて、白秋は「この道」のような浪漫を歌にしたので
はないだろうか。
違いという境が新鮮な戸口として界(さかい)という世界を創る。
差別や分断・区別が生む中央ー地方の線引きとは違う入り口を保つ界
(さかい)なのだ。
この根となる感性をこの展示から吸収して感じてみたかった。
この後館を出て、瀧口展以来久しぶりに堺町本通りをぶらぶら歩く。
アーケードもなにもない2、3階建ての個性的な建物がずっと続いて
通りに連なっている。
歩行する人もゆるゆると歩いていて、直線的な速歩の人は見当たらない。
札幌の狸小路は空が塞がれ、同じくらいの距離だがこの解放感はない。
地下街に至っては、建物それぞれの固有性もないのだ。
狸小路も地下街も固有の建物の保つ魅力がないのは、単純にいって屋根
が見えないからでもある。
屋根の見えない町並みとは、ショップの商品の陳列パック店(棚)と
化して商品の街路樹のようである。
屋根が空と繋がり、道が風景と繋がる。
そうした世界があって「この道」の歌も生まれたのだろう。
この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
ここには屋根が見え、樹木が見え空が見える。
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