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テンポラリー通信

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2013年 07月 07日

さようならとさよならー道程・文月(6)

山田航さんのNHKトーク番組録音を再度聞く機会があって
ふっと、<さよなら>という言葉で思い出していた。
最初の本が「さよなら バグ・チルドレン」で<さよなら>
で始まるという会話があったからである。
それと関連して<スタートライン>という出発の話も心に
残った。
私などの世代では、<さよなら>といえば、学生運動の闘士
の自死、恋と革命に生きた辞世の言葉を思い起こす。
<さようなら と総括>である。
そういえば、この時は<さよなら>ではなく、<さようなら>
なのだ。
そして本当にこの世と別れる最後の言葉だ。
山田さんたちの時代のどこかライトで乾いた感性には
<さようなら>ではなく<さよなら>が似合っている。
スタートラインという出発もまた、さらにラストの様相を
帯びて在る。

 断絶を知りてしまいしわたくしに
           もはやしゅったつは告げられている

<断絶>を認識した後の出立とはその後の自死への予感にも
思える。
時代は少し違うが、<さようなら と総括>と書いた奥浩平も
上記<断絶>の歌を遺した岸上大作もともに自死している。

山田航さんのスタートとは<靴紐を結ぶべく身を屈めれば全ての
場所がスタートライン>であり、それは<走ろうとすれば地球が
回りだしスタートラインが逃げてゆくんだ>と蜃気楼のように
ふっと浮かび消えてゆく日常の存在として、淡い夢のようにある
存在だ。
特別な存在として出立・出発・スタートラインは設定されない。
それはむしろ醒めた日常として、自死についてもこのスタート
ラインと題された一連の歌の最初には次のように載せられている、

 鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る

自死も、醒めた日常の一刻なのだ。
どっちが良いかなどと比べる気は毛頭ない。
どちらもが時代を真摯に生きている。
<さようなら>と<さよなら>の相違に顕われた他者との関係性の
濃淡の相違は、時代の濃淡でもあるのだろう。

私自身はやはり<さようなら と総括>と言ってこの世を去るのかも
知れないなあ。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。
 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
*”ZO”展ー7月24日(水)まで。
 am12時ーpm8時:月曜定休。
 Caballero札幌市中央区南1条西1丁目大沢ビル4階

by kakiten | 2013-07-07 13:34 | Comments(0)


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