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2013年 07月 02日

潮路・川路ー道程・文月(1)

小樽美術館・文学館の瀧口修造展を終えて、吉増剛造の
あの大草稿の塊りが隕石のように札幌へ飛んでくる。
石狩湾を挟んだふたつの都市を結んで潮路と陸路の
回路が交感してゆく。
1994年「石狩シーツ」誕生時石狩河口から夕張川を
遡上し、そこで<女抗夫さん>と<織姫>の<濡れた山
のヴィシヨン>を近代の陸路(川路)のとばくちのよう
に作品化し20年。
今その回路は瀧口修造の21歳の小樽を経て、潮路のよう
に石狩湾を航り河口からふたたびの川路を辿っている。
1973年書肆山田書き下ろし叢書「草子1瀧口修造 星
と砂と」に続く「草子2吉増剛造・・・」は、<海と川と>
でもあったのであろうか・・。
「石狩シーツ」と「草子」、このふたつの間に横たわる20年
に今という40年の川路と潮路の見えない回路が息づいて
いる。
その見えない回路を航行するのは、400葉にならんとする
未完の大草稿・大隕石の塊である。

小樽ー札幌とは、ひとつには近代の起点ともいえる近代の
底線でもある。
日本で3番目に拓かれた鉄路で結ばれ海路と陸路の物流の
幹線となった。
地形としての後志国と石狩国の相違は、この鉄路によって
港と都の関係性へと変化してゆく。
中央直轄の道庁の位置する都の入り口として小樽は次第に
政治経済の中心を札幌に吸収されていく。
しかしして、小樽という入り口を抜きに札幌の発展は本来
有り得なかったと私は思う。
そしてその発展と同時に札幌自身が見失ってきたのは、もう
ひとつの本来の入り口石狩河口への回路である。
陸路は本来川に沿って生まれる。
その川路・陸路は物流の効率性から鉄路にその主要な役割を明け
渡し、現代に至るのだ。
先日歩いた元村街道は野球の日本ハムファイターズ通りと至る
所に舗道に刷り込まれ、旧札幌川に沿った陸路の面影もない。
商業資本の風景への開拓破壊として、明治の開拓と本質的に
変わらぬ行為が今も続いているのだ。
近代の保つ光と影を、その光の方の正の系譜として小樽も札幌
も見直し正していかねばならない。
負の歴史をも見据えつつ正の歴史を掘り起こさねばならない。
その意味では近代は未だ何も終わってはいない。
ゆるゆると懐かしい不思議なレトロな空間を再現した小樽の
瀧口修造の20代の夢の店がそれを今に教えてくれた気がする。

*「記憶と現在ー小樽・札幌」展ー7月21日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503
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by kakiten | 2013-07-02 13:52 | Comments(0)


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