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テンポラリー通信

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2013年 06月 28日

陽光が射してー光・水無月(21)

肌寒い小雨の曇り日の後、今朝は青空。
自転車の修理に行く。
単純な前輪パンクで、空気圧が不足していたという。
後輪も危険だったので空気を入れたという。
一冬放置していたままで乗っていたので気にはなって
いたから、やはり手入れを怠っていた報いである。
酔った勢いで舗道の段差を無視してドンと下りたのが
空気の抜けた原因と言われた。
朝から出費と時間のロスをして、懐も心も少しパンク。
直した自転車を走らせ、初夏の風と光を浴びて少し回復
する。
この走っている時がシジフォスの繰り返しの自由のように
幸福な時間なのかもしれない。
単純に車輪を漕いでいる一番純粋に自分でいる時間。
風景の中に生きて呼吸して感じている。
長い冬の時間、地下鉄やロードヒーテングの舗装された
<⇒>の道で閉じている時間を想起する。
街は天も地も直線の⇒に満ちている。

ゆるゆると下り坂が続き、左右の道の両側には2、3階
建ての古い石垣や煉瓦や木造の家並みが連なっている。
昔の屋号の残った建物でクリーム善哉を食べた。
小樽の瀧口修造展を見た帰り。
21歳小樽にいた瀧口の心の風土が美術館の内にも外にも
広がっていると私には感じられた。
美術館だけに特化されない瀧口の風土を感じた。
その事を経済発展に取り残された死に体と言う小樽人もいる
けれど、たとえそれが消去法で残されたものであっても、今
在るものは間違いも無く今在るのだ。
現象ー実体ー本質の三段階理論でいえば、あの街並みという
現象は瀧口修造の精神の故郷という本質に実体として繋がる
ものである。
死に体ではなくもしそれが繁栄する活動体であるなら、その
現象は如何なる本質を導き出すのか。
<⇒>の支配するペーブメントの街札幌。
白秋の「この道」の世界は消えて、<いつか来た道>も<ああ、
そううだよ>と呟く事も無い。
そうした<この道>がここでは”死に体”なのだ。
そこを起点に現象が始まる。
私はきっと小樽で瀧口展を見、堺町本通りを歩きながら札幌を
見詰めていた。
瀧口修造の精神を熟成した近代風土を本質として逆に現象現実へ
と遡行していく過程で実体としての札幌を見詰めていたのだ。

現象ー実体ー本質と久しぶりに学生時代に齧った認識論を思い出
していると、これがふっと佐佐木方斎の「自由群」「余剰群」
「格子群」の三段階に呼応して感じられ、不思議な因縁を感じて
いた。

車輪を無心に漕いでいる時間。
これが媒介概念であり、実体概念なのだろう。
現象と本質が限りなく無媒介に直結する金銭の収支のような
入り口⇒出口の下痢のような物流構造を本当は精神の死に体
というのではないのか。

*「記憶と現在」展ー6月30日(日)まで。
 am11時ーpm7時:月曜定休。

 テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
 tel/fax011-737-5503

by kakiten | 2013-06-28 14:14 | Comments(0)


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