支払いが滞り心も閉じる。
入り口と出口の均衡が崩れると、出口が脅迫する。
これに負けると心も閉じる。
出口ー入り口の回路は経済の回路で、都市を構成する
通底回路のようだ。
遮断と仮設の膝小僧を抱えるような時間が支配する。
都市のペーブメント回路は流れなくなったら弾き出さ
れて脱落。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
と、百年前の1914年に高村光太郎は詩「道程」に書いた。
僕の前は、すべて世界へ開かれた入り口。
世界は入り口に満ちていた筈だ。
しかし何故人は開き、閉じてゆくのか。
もっと深く絶望せよ、と吉本隆明なら言うのかも知れない。
深く閉じて、深く開く。
Mへの追悼で私もかってそう書いた。
しかし心の垂直軸が揺れる時世界は津波のようにペーブメン
トの世界に呑み込まれてゆくのだ。
山奥の倒れた白樺の一本の樹を吊って、そこに耳を当てると
森の風傍を流れる川のせせらぎが聞こえる。
それがMの最後の個展だった。
会場ではみんなが白樺の幹を抱き、耳を澄ませた。
ひとりひとりの白樺を抱く事の共有・共時性が個に閉じつつ
外界に開くシンプルな行為であった。
Mの死後その数年前に友人に残した油絵が現れた。
それは、膝小僧を抱いている暗い赤と黄の色彩の宙吊りの
下半身だけの絵画だった。
閉じて、最後に開いたね、Mよ。
宙に浮いて揺れているような両足を掻き抱く骨のような両手。
それから数年最後となった個展では、両足は白樺となり
みんなが幹を抱き耳を澄ませた。
あの白樺はかってのM自身でもあり、同時に深く閉じ開かれた
M自身でもあったのだろう。
もう7年の歳月が流れた。
まもなくMの命日が来る。
私の前の道はあの時から、Mと寄り添うようにある。
そんな気がする。
*「記憶と現在」展ー6月30日(日)まで。
am11時ーpm7時:月曜定休。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503