初夏の抜けるような青空が広がる。
光燦々、風も甘い香りを乗せて綿毛が飛んでいる。
昨日八木さんの遺族の方が快くあの表札を届けてくれた。
竹を半分に割り、3人の名前を墨で書き刻み入れた風情
ある表札である。
時が経ち墨は薄れ竹もすっかり乾燥して軽い。
そつと奥の談話資料室の一隅に置いた。
亡父が遺した若い頃のパステル画近くに、そっと置いた。
吉増剛造さんの瀧口展への草稿も届いた。
同行したい人の希望もあり、今日の小樽行きは止め
来週早々という事になる。
以前から約束していた山田航さん他を茨戸まで案内する
パラト街道探索が明日である。
その道程資料を山田さんに見せたところ、なんと篠路村に
拓けた最終到着地帯にある茨戸の藤田農場は父方の祖母の
実家だという。
札幌を流れるすべての川が扇の要のように最後に集結する
場所。
そして石狩の河口から札幌に向かい最初に拓かれた場所。
そこの広大な農場が後に拓銀破綻のひとつの要因ともなった
テルメリゾートであり、ほぼその領域全部がこの藤田農場に
なるようなのだ。
大河石狩川に札幌の大小の河川が最後に合流し大きな川口と
なる。
その様子を先住民はパラ(広い)ト(海・湖・川口)と呼ん
だのだ。
そこまで札幌の中心部から古い街道を伝い歩くのである。
小樽と結ぶ汽車が開通する前の石狩の海へと通じる札幌への
一番古い街道である。
その起点ともなるパラト地域に最初に開拓で入植したであろう
農場の末裔が山田さんとは、本当に不思議な縁である。
本人がこの古い地図を見て一番吃驚していたのかも知れないが、
明日歩くという二日前に資料を見て気づいたのだ。
祖母の実家と言う事だから,相当にもう遠い記憶の歴史である。
パラトの載っている篠路村の復元古地図に藤田農場の名を見る
まで、それは遠いうっすらとした記憶の片隅の名前だっただろ
う。
以前テルメリゾートの広大な敷地とホテルの裏を歩い事がある。
このリゾート地は嫌いだったが、その裏に古石狩川が広がって
いるので探索に歩いたのである。
テルメ側とは一味違う豊かな農場風景が広がっていた。
あれがきっと元の藤田農場の風景なのだと思う。
街で育った私の知らない石狩から発する人の歴史。
それは札幌の地形とともに海の方から拓かれてきたのである。
瀧口修造展の開かれている小樽へ行く前、その小樽へ通じる以前
の道を歩く。
これも不思議な巡り合わせというものだ。
石狩国から石狩湾を挿んで霞む後志国を望見する道程ともなるだ
ろう。
それらは風景とともに、瀧口修造のシュールリアリズムの近代の
頂きと藤田・山田家に象徴される民衆の近代の裾野を見る旅でも
あるだろう。
*記憶と現在展ー6月12日(水)-30日(日)
am11時ーpm7時;月曜休廊。
テンポラリースペース札幌市北区北16条西5丁目1-8斜め通り西向き
tel/fax011-737-5503